第25回 タイの野球代表チーム監督 伊藤努

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第25回 タイの野球代表チーム監督

今から11年前の1998年12月にバンコクで、アジアのスポーツの祭典であるアジア競技大会が開かれ、東京本社の運動部から出張してきた運動記者の大取材団に交じってスポーツ競技の取材をした。女子マラソンの高橋尚子選手が朝が早かったにもかかわらず、猛暑の中をアユタヤからバンコクまでのコースを独走し、金メダルを勝ち取った大会と言えば、記憶されている方もおられるかもしれない。

それはともかく、サッカーや陸上競技、水泳といった人気競技は運動部の担当記者がもっぱら取材し、応援要員である現地の特派員にはマイナーな競技の取材が回ってきた。筆者は中学、高校時代に野球部に所属していた関係もあり、アジア大会では比較的マイナーとされた硬式野球と女子ソフトボールなどの試合をカバーした。

アジア地域で国・地域別の野球対抗戦をやると、今年初めのワールド・ベースボール・クラシック(WBC)アジア予選でも明らかなように、日本、韓国の2強に加え、台湾、中国などが強豪で、東南アジア各国の代表チームとは力量に大きな差があるのは否めない。もともと、東南アジアではいろいろな理由から野球は盛んではなく、選手層も極めて薄い。タイでも同様で、アジア大会が開かれる数年前までは正式の野球グラウンドもなかったほどだ。

しかし、アジア大会の開催国とあって、タイは競技種目である野球にも出場し、代表チームを結成していた。そのタイ代表チームの監督をしていたのが、都市対抗野球など社会人野球の経験があるMさん(宮城県出身)だった。青年海外協力隊の一員として、2年契約の約束でタイの若者たちに野球をイロハから教えていた。

アジア大会を数カ月後に控えたある日、タイ代表チームが練習をしているバンコク郊外のグラウンドを取材で訪ねると、まだ20代のMさんが守備練習で手本を見せていた。遠くから見ていても、軽快なフットワークやグラブさばきなど、周りにいるタイ人選手よりも格段に上手なことがすぐに分かった。その後、チームのエースという体格ががっちりした投手の投球練習や野手たちのバッティングの様子を見て回ったが、技量ははっきり言って、高校野球の地方大会で3、4回戦くらいまでは進出できるという程度だった。プロの一流選手をそろえた日本や韓国チームにはやはり歯が立たない。野球を取り巻く環境の差や選手の素質を考えればやむを得ないことだった。

タイのチームは本大会で早々と姿を消したが、Mさんは「タイの野球の歴史はこれから始まる」と、将来に手応えを感じたようだった。タイ人選手と合宿生活を送りながら、炎天下のにわか造りの球場で汗まみれで取り組んだ代表チームの育成。Mさんは、歴史が新しいタイ野球界の功労者と言えるかもしれない。

 

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