第27回 東南アジアの指導者私論 伊藤努

第27回 東南アジアの指導者私論
仕事柄、東南アジアを含むアジア域内の政治的動きなどを追っているが、昔と比べて大きく変わったことの1つが、カリスマ性を持った指導者があまりいなくなったことだ。日本の政治を見ても、近年は政界トップの首相がわずか1年前後で交代することが相次ぎ、海外で日本の首相の名前を正確に言える人は相当の知日派でもない限り、ほとんどいないのではあるまいか。
そんな日本の政治指導者と比べれば、アジアにはまだ存在感のある政治家は少ないながらもいる。インドのマンモハン・シン首相はそんな候補の1人かもしれない。しかし、10年一昔と言うが、一昔前、二昔前はもっと多かった。当時の肩書だと、インドネシアのスハルト大統領、シンガポールのリー・クアンユー首相、マレーシアのマハティール首相といった面々が思い浮かぶが、この中には晩年に政権の座を追われるなど、失脚した人物もいる。とはいえ、権勢を誇っていた時期はいずれも国際社会で一目置かれ、対外的な影響力も並々ならぬものがあった。クーデターで失脚したタイのタクシン元首相は、これら3氏と比べると「暴れん坊」の印象をぬぐえないが、一時は同国では例を見ない絶大な権力を握っていた。

タクシン元首相
バンコクを拠点に東南アジアを広域カバーしていた1990年代後半、国際会議などの場で前記の3人の指導者を間近に見て、その発言を原稿にまとめたことが思い出される。ジャカルタで開催された東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議でカンボジアやミャンマーの加盟問題をめぐってもめにもめた際、ホストであるスハルト大統領の「鶴の一声」で加盟の道筋が固まった。クアラルンプールで開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議で、米国主導の経済グローバル化に敢然と反旗を翻し、アジア的価値観の重要性を説いたのはマハティール首相だった。リー・クアンユー氏も小国シンガポールの指導者ながら、ミャンマー問題で民主化運動指導者のアウン・サン・スー・チーさんを時に諌める発言をし、欧米や日本とは一線を画す外交スタンスを堅持していた。
3人の指導者に共通するのは、手法は違いながらも、自国の国家建設で独自の戦略を有し、米国、中国、日本といった域外の「大国」にはASEANの結束を維持しながら対処する外交を追求した点だ。国内で強権をふるい、有能な側近を競わせて内外政策を主導した点も似ている。
ただ、これら3氏が鬼籍に入ったり、政治の第一線を退いた現在、国を率いる指導者がいずれも小粒となった印象を禁じえないのは、まだ実績を上げていないのか、あるいは動きが速い時代環境のせいによるものかは即断できない。そして、3氏が率いた国よりははるかに経済的に大きな存在である日本の指導者がそろって精彩なく見えるのはなぜか、と考える。