第334回 バンティアイ・スレイの思い出(2) 直井謙二

カテゴリ
コラム 
タグ
アジアの今昔・未来 直井謙二  News & Topics  霞山会 

第334回 バンティアイ・スレイの思い出(2)

バンティアイ・スレイに到着したが、しばらく山門の前で待たされる。同行した兵士が境内に展開、変わったことがないか地雷を新たに敷設した痕跡がないか点検するためだ。1980年代半ばまではアンコール遺跡の中でももっとも有名でシェムレアップの町から近いアンコールワットの視察すらロシア製の大型トラックに乗せられ兵士に護衛されて訪れた。

それから5年、アンコールワットやアンコールトムではのんびり歩く観光客の姿も散見され、緊張感は消えていた。その場所から40キロしか離れていないバンティアイ・スレイの警護のものものしさに驚いた。カンボジアがまだ内戦中だったことを再確認した。許可が出ると平山郁夫画伯はまっしぐらに東洋のモナリザと称賛される女神像に向かいスケッチを始めた。

バンティアイ・スレイは10世紀にジャヤバルマン5世によって建立された小型のヒンズー寺院だが、ヒンズーの神々やヒンズーの叙事詩、ラーマーヤナ物語をテーマにした壁面彫刻が美しい。中でも「東洋のモナリザ」とうたわれる女神像は見るものを引き付ける魅力がある。今から90年ほど前、フランスの作家アンドレ・マルローが女神像のあまりの美しさに持ち出そうとして逮捕されこともある。

静まり返った境内に紙の上を鉛筆が走る音だけが響く。横で見学させていただくと平山画伯は薄く全体のバランス書くのではなく、いきなりディテールを積み重ねていた。それでも出来上がるとスケッチ全体のバランスは保たれていた。

「東洋のモナリザ」をしげしげと眺める。大勢の人が触ったのだろうと思われる胸の一部は黒光りしていた。慈愛に満ちた女神の顔は確かにダビンチのモナリザを連想させる。壁面彫刻の美しさに心を奪われていた時、突然兵士の叫び声が境内に響いた。ポルポト派の襲撃ではないかと驚いた。

兵士が叫んだのは同行者の一人が小用をたすため境内から離れ、近くの草むらに向かおうとしたためだった。当時、観光客が訪れないこともあって公衆トイレはまだなかった。境内は地雷の撤去確認は終わっているが、近くの草むらはまだ手が付けられていなかった。ふらふらと境内から離れ、草むらに向かおうとする同行者を見て兵士も驚いたに違いない。

その後、バンティアイ・スレイには3度訪れた。
徐々に地雷も撤去され、内戦も終わり、トイレも整備されて安全な場所になった。その一方で入場料が新たに必要になり、東洋のモナリザの女神像の前には柵が設けられた。
女神像が遠くに行ってしまったような寂しさを感じた。

写真1:東洋のモナリザ1

《アジアの今昔・未来 直井謙二》前回
《アジアの今昔・未来 直井謙二》次回
《アジアの今昔・未来 直井謙二》の記事一覧

 

関連記事

“大陸花嫁”の追い出しによって一段と対立深める中台海峡両岸―双方強気な姿勢崩さず 日暮高則

第1回 近衞文麿とその周辺 嵯峨隆

〔35〕香港から深圳への地域限定ビザ 小牟田哲彦(作家)