富士山が6月26日ついにユネスコの文化遺産に登録された。プノンペンで開催された世界遺産委員会で登録が承認されたが、会場には山梨県知事や静岡県知事も駆け付け決定の瞬間を見守った。イコムスが登録から外すべきだとした三保の松原を含め一括して認められたことから日本中が喜びに沸いた。
富士山は当初、世界自然遺産としての登録を目指したが、ゴミの不法投棄や開発による環境悪化などの理由で登録が果たせず、歴史や信仰を含めた文化遺産登録に切り替えるなど紆余曲折があり、ようやく登録できたという思いもあった。
一方、会場になったプノンペンの様変わりに驚いた。80年代から90年代にかけて数十回ほど通ったが、記憶にある閑散としたプノンペンと映像に映し出される高いビルが林立する今のプノンペンとは結びつかない。
プノンペンの町の様子は変わってもカンボジアのフン・セン政権は安泰のようだ。木槌をたたきながら「承認」と声を上げるソックアン世界遺産委員会議長はフンセン首相の側近で副首相だ。なつかしいソックアン副首相の顔と共に富士山同様長い道のりをたどったアンコールワットの世界遺産登録を思い出した。
80年代の半ばに初めてアンコールワットを訪れたが、当時はまだポルポト派の支配地区で数十人のヘンサムリン政権の兵士に守られ、昼間だけ見学が許された。夜になればポルポト派の兵士が自由に歩き回り、時折銃声も聞こえた。ガイドの外務委員会のスタッフはアンコールワットの境内に到着するや否や震えだし、早く撮影を終え、境内から出るように警告した。当時のアンコールワットは修復の手が入らないばかりか、戦闘による砲弾を受けていた。ベトナムのカンボジア侵攻で樹立されたヘンサムリン政権は国連加入が果たせず、ユネスコの支援も受けられない。崩れてゆく遺跡を前に外務委員会のスタッフもユネスコの支援を訴えた。
92年になってようやく内戦終結への機運が盛り上がり、国連主導の総選挙が実施されカンボジアの内戦は終了した。同時にアンコールワットは遺跡としてユネスコの世界遺産に登録された。
富士山もアンコールワットも国を代表するシンボルで、アンコールワットはカンボジアの国旗に描かれている。富士山はゴミや開発による環境悪化で、アンコールワットは内戦で遺産登録までは長い道のりだった。富士山の登録がアンコールワットゆかりのカンボジアの首都プノンペンで決まったことに不思議な縁を感じている。
写真1:閑散とした80年代のプノンペン
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