第100回 タイのルンピニ公園 直井謙二

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第100回 タイのルンピニ公園

タイの首都バンコクの中心街に日比谷公園の3倍の大きさを誇るルンピニ公園がある。バンコク名物、車の渋滞と排気ガスも公園の中だけは無縁だ。

広い芝生、マラソンコース、それに池が配置され、バンコク市民の憩いの場である。早朝、まだ涼しい時間に中華系の年配者が太極拳で体を鍛える傍らを若者がジョギング姿で行き交う。ジョギングコースの脇に立つヤシの木には色とりどりのランが咲き乱れている。(写真)

台もあり、飲茶は安くてなかなかうまい。バンコクでは台所が付いていないアパートも珍しくない。出勤前のサラリーマンがルンピニ公園を散歩して、屋台で朝食を済ませて出勤する姿も見られる。公園の外にも屋台があり、20年ほど前までコブラの生き血をワインで割って飲ませる店もあった。

当時、ルンピニ公園にはスラム街もあった。貧しい東北タイなど地方から職を求めてバンコクに出てきた人たちが不法占拠していた。

1985年のプラザ合意で日系企業が洪水のようにタイに進出した。87年には観光年キャンペーン「ビジット・タイランド」が成功し、大勢の外国人観光客がタイを訪れるなど、高度経済成長の突入とともにルンピニ公園のスラム街は消えた。

タイでは11月から5月までの乾季はほとんど雨が降らないが、雨季明け間近の9月から10月は豪雨に見舞われ、バンコク市内は水浸しになることが多い。
ルンピニ公園の池にも大量の雨が流れ込み、池の水があふれ、池に放されていた大きな鯉がビル街に流れだす。投網を持ち出し、ビル街で鯉の捕獲を楽しむ人もいた。

90年代頃からは、太極拳に交じってエアロビクス・ダンスを楽しむ若者が目立ち始めた。徐々にエアロビクス愛好家が増え始め、タクシン政権が成立した2000年代には公園のあちこちでエアロビクス・ダンスが見られるようになった。当時のタクシン首相もエアロビクス・ダンスに参加し、最も参加者が多いエアロビクス・ダンスに挑戦したことがあった。

その頃がタクシン首相の隆盛期で、その後、2005年9月、軍によるクーデターで失脚し、2009年末にはルンピニ公園は親タクシン派のデモ隊が占拠、多くの死傷者を出す流血事件へとつながっていった。

最近、体長が2メートル以上あるミズトカゲがルンピニ公園に繁殖しているという新聞記事を読んだ。9年間もバンコクに住んでいながら一度もミズトカゲを見る機会がなかったので驚いたが、繁殖を抑えるためミズトカゲの卵を食べているという。


写真:ルンピニ公園ランが咲き乱れている

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