第102回 フィリピンの闘鶏 直井謙二

第102回 フィリピンの闘鶏
東南アジアでは動物や魚を格闘させ、金を賭ける娯楽が広く行われている。
タイのマーケット(市場)では、小さな瓶に入った闘魚がよく売られている。闘魚の瓶には紙が貼られている。別の瓶に入れられた闘魚が見えると、たちまち興奮して闘魚が瓶に衝突し、弱ってしまうからだ。
動物や魚を格闘させる娯楽の歴史は古い。13世紀に建立されたアンコール遺跡、バイヨンの回廊には当時の人々の生活の様子を表した壁面彫刻が彫られている。その中に闘鶏や闘犬の彫刻もある。(写真)

フィリピンの闘鶏も古く、スペインが植民地支配する以前から行われていた歴史を持つ。闘いの前に掛け金が集められ、勝者は掛け金に応じて配当を受け取る。
公認の闘鶏場は観客席もあるような大きな施設で、日曜日には大勢の男たちが集まる。観客が男ばかりということは、家庭ではあまり歓迎されていないということだ。
歓声とともに持ち主に抱えられた2羽の闘鶏が現れる。鶏は抱えられたままにらみ合い、互いに戦意を高め合う。アンコール遺跡バイヨンの壁面彫刻の闘鶏も、男性に抱えられた2羽の鶏がにらみ合っていて、古くから闘鶏の方法が同じだったことが分かる。
2羽の様子を見て、観客は仲介者を通して金を賭ける。フィリピンの闘鶏が他の国や古代の闘鶏と大きく異なるのは、足に鋭利な小刀が取り付けられ、片方の鶏が死ぬまで闘いが続くことだ。日本の闘牛などが、戦意を失って一方が逃げだせば勝負がつくのと比べると過酷だ。
日曜日になると、住宅地やスラムに鶏を抱えた男たちが集まり、私営の闘鶏を始める。税金がかからないから、払い戻し率は高いが、当然、違法だ。
闘鶏の様子を取材していたら、仲介役の男がタガログ語で筆者に話しかけてきた。タガログ語は話せない上、取材中で忙しいこともあり、フィリピン人助手に後を任せた。
鶏が死に、闘いが終わると、見学していた男たちから拍手が起き、握手を求められた。何事かと思ったが、後を任された助手が筆者の名義で賭けに参加し、勝負の結果、筆者が賭けに勝ったことが分かった。
仲介者が500ペソ(当時のレートで2000円)を渡そうとするので、取材のお礼だと返したら、再び拍手が起きた。
無事に取材を終え、帰ろうとしたら、たった今敗れた鶏を料理しているから待っていろと言う。払戻金と同様に遠慮すると丁重に断ったが、勝者は敗れた鳥肉を食べるのがしきたりだと言われ、やむを得ず一口食べた。鶏は戦闘に備えて鍛えられているせいか、肉が堅く、まずかった。
写真:13世紀に建立されたアンコール遺跡、バイヨンの回廊には当時の人々の生活の様子を表した壁面彫刻が彫られている。その中に闘鶏や闘犬の彫刻
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