〔43〕日本領朝鮮時代の急行列車の車内アナウンス 小牟田哲彦(作家)

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〔43〕日本領朝鮮時代の急行列車の車内アナウンス

日本の統治下にあった台湾や朝鮮ではどのような旅客列車の旅ができたか、ということは、現代に伝わるさまざまな文献や写真を通して知ることができる。その一端は拙著『改訂新版 大日本帝国の海外鉄道』にまとめてあるが、その内容を支える大きな役割を果たしてくれたのは、それぞれの地域の鉄道事業体が当時編纂した社史であり、戦後に元・関係者の努力でまとめられた資料集などである。このコラムの連載でも何度か紹介している弁当の包み紙とか切符とか無料配布のパンフレットといったものはなかなか残りにくいが、それでも、有形物であるからさまざまな人の手を介して現代に伝えられているものはある。

ところが、こうした活字の史料や画像だけでは当時の実態を正確に把握しにくいのが、音である。音は活字と異なり、その当時に実際に録音されたものでなければ1次資料としての正確性が低くなるのは避けられない。戦前にも稀少ながら動画は存在したが、無声映画のように音声を伴っていないものも多い。そして、仮に当時録音していたとしても、それが現代にまでレコードその他の媒体に記録されて伝わっている可能性は活字よりも低い。

たとえば、台湾や朝鮮は当時は日本統治下にあったから、日本語が筆頭公用語であった。しかしながら、実際の旅客列車の旅客は日本人だけでなく、それぞれの地域に昔から住んでいる台湾人なり朝鮮人が多かったはずである。そうした地域の列車内で、車内アナウンスは何語が用いられてどのように行われていたのか、ということは、活字で思い出話がどこかに記録されているかもしれないが、当時のアナウンスの音声を聴かない限りは正確なことはわからない。

ところが、戦前に作られた映画の中で、朝鮮半島を走る急行列車の車内で車掌が到着駅を知らせる音声が流れるシーンを見つけた。昭和13(1938)年に公開された『軍用列車』という映画だ。メインスタッフの大半は朝鮮人で、日本人俳優のセリフは日本語のままだが、朝鮮人俳優は朝鮮語で話していて画面右側に日本語の字幕が出る。日本人と朝鮮人の両者を観客として想定し、内地ではなく朝鮮で製作したものらしい。

この映画の中に、釜山から満洲国へ直通する国際急行「のぞみ」の食堂車内と思われるシーンがある(画像参照)。京城(現・ソウル)に近づいた列車の中で、機械による放送ではなく、日本人と思われる車掌が1両ずつ客車を回って、到着駅を日本語でアナウンスしているのだ。

「どなたもー、お疲れ様でございましたー。次はー、京城でございまーす」

映画『軍用列車』における急行列車の食堂車内での1シーン。
画面中央でテーブルクロスを片付けているのは「食堂車ガール」と呼ばれた女性給仕(演じているのは日本人女優の佐々木信子だが、朝鮮人「鄭順姫」という役のため作品中の会話はすべて朝鮮語)

もちろん、これは映画のシーンなので実際の旅客列車内の音声ではないだろうが、当時の車内での到着駅接近アナウンスがこのようなイントネーションの日本語で行われていたということは強く推測できる。現代の日本でも都市部の通勤電車から田舎のローカル線まで全国で耳にする、鉄道の車掌独特の抑揚をつけた話し方は、少なくとも昭和13年の朝鮮半島の列車内に存在していたわけだ。車内放送装置を用いた放送ではなく、車掌が1両ずつ回って声を張り上げてアナウンスしていたというのも、現代から遡って観ると新鮮である。


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