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危機管理と権利擁護が並存する政策志向 ――中国の対日政策における相克と補完のダイナミズム 加茂具樹

危機管理と権利擁護が並存する政策志向 ――中国の対日政策における相克と補完のダイナミズム 加茂具樹

危機管理と権利擁護が並存する政策志向ーー中国の対日政策における相克と補完のダイナミズム

 

相反する政策志向:問題設定
 二〇一〇年代初頭から半ばにかけて、中国の外交・安全保障政策は、胡錦濤指導部から習近平指導部への移行期とも重なり、顕著な変容を遂げた。尖閣諸島をめぐる日中関係の緊張、米国の「アジアへのリバランス」政策、そして中国自身の海洋能力の伸長などが複合的に作用する中で、中国の対外行動は強硬化の一途をたどった、と一般には理解されている。

 しかし、当時、中国国内の公開された論考群を辿ると、そこには単一の強硬路線への収斂では説明しきれない、二つの政策志向が同時に立ち現れていた。すなわち、対外的な摩擦を不可避な構造として捉え、その制御を最優先する「危機管理」の政策志向と、摩擦を中国の正当な地位確立のための「闘争」と捉える「権利擁護」の政策志向である。

 本稿の問いは明確である。二〇一〇年代前半の中国国内公開言説において、なぜ相反する二つの志向が並存し得たのか。両者はどのように論理づけられ、どこで接続されていたのか。本稿はこの点を、個別事例の評価ではなく、政策論の論理構成を抽出するかたちで整理する。

 ここでいう「危機管理」とは、摩擦を不可避な構造として受け止め、最悪事態(軍事衝突)を回避しつつ状況を制御するために、対話、連絡、通報、行動規範等を整備する政策志向を指す。これに対し「権利擁護」とは、摩擦を自国の正当な権利、地位を確立する過程として捉え、国内外の動員や国際世論戦、プレゼンスの常態化などを通じて、既成事実を積み上げ、相手に「新しい現実」の受容を迫る政策志向を指す。

 日本の言説空間においては、後者の「権利擁護」の側面ばかりが中国の主要な論調として捕捉されがちである。しかし、当時の中国国内では、権利擁護の推進を正当化する議論と並行して、危機管理の必要性も反復して語られていた。結論を先取りすれば、当時の中国国内の対日政策論考は、強硬化という単線的な構図が語られるのと同時に、強硬化を持続させるための条件として危機管理を位置付けていた。

 本稿は、二〇一〇年代前半の中国国内公開言説(学術誌論文、新聞・雑誌評論、インタビュー等)に反復して現れる「危機管理」と「権利擁護」の論理構成を抽出、整理する[注1]。あわせて結語では、近年の可視性低下を踏まえた観察と備えの要点を示す。

 「危機管理」の政策志向
 二〇一〇年代初頭から半ばにかけて、第一の潮流は、外交実務や軍事戦略に深い造詣を持つ研究者たちによって主導された議論である。彼らの議論の起点には、冷徹な現状認識がある。二〇一二年前後を境に、中国は周辺国との「摩擦が頻繁に生じる時期(摩擦高発期)」に突入したという認識である。

 興味深いのは、このグループが、摩擦の原因を相手国の動向だけに求めるのではなく、中国自身の台頭に伴う構造的な必然として捉えている点である[注2]

 二〇一二年前後の論考では、重要な政策課題は「重要な戦略的チャンス期(重要戦略的機遇期)」をいかに維持するかにある、という整理が繰り返し確認されていた。この視座に立てば、ナショナリズムに駆られた無秩序な強硬論は、かえって中国の長期的な国益を損なうリスク要因となる。したがって、彼らが提示する処方箋は極めて実務的かつ防衛的である。

 その核心は「制度化」にある。偶発的な軍事衝突を防ぐための「海空連絡メカニズム」の早期構築をはじめ、軍事信頼醸成措置の整備などが、繰り返し提言されていた。ここでは、「慎重」「自制(克制)」「相互妥協」といった概念が重視され、危機を「解決」することよりも、まずは「管理(管控)」して破局的な衝突を回避することが、責任ある大国の振る舞いだと説かれた。対日関係は、歴史や領土をめぐる感情対立の場というよりも、不測事態を技術的に抑え込むべき管理対象へと位置づけ直されていた。危機管理とは「管理(管控)」の制度化である。

「権利擁護」の政策志向
 これと対極的なベクトルを持つのが、日本研究や国際世論戦を専門とする研究者、あるいは国際関係論学者たちによって展開された第二の潮流である。彼らの議論は、いわゆる「韜光養晦(才能を隠して機を待つ)」から「奮発有為(積極的に成果を上げる)」への転換、すなわち対外姿勢の能動化を理論的に支える役割を果たしていると言ってよい[注3]

 この政策志向における現状認識は、より攻勢的かつ政治的である。彼らは、当時の日本の一連の行動(国有化措置や歴史認識問題など)を、単なる二国間の摩擦ではなく、戦後国際秩序に対する「挑戦」であり、中国の台頭を阻害しようとする「封じ込め」の一環として位置づけていた。したがって、彼らにとっての対外政策の目的は、摩擦の回避ではない。むしろ、摩擦を恐れずに実力を行使し、中国の正当な権利(「維権」)と、アジアにおける「あるべき地位」を確立することにあると言ってよい。

 そうした彼らの提言には、「戦略的動員」や「国際世論戦」といった概念が頻出する。日本が「法の支配」や「価値観外交」を用いて中国を包囲しようとしていると分析し、それに対抗するために中国もまた、法的な正当性の主張や、物理的なプレゼンス(公船の巡航常態化など)を通じて、相手に「新しい現実(既成事実)」を認めさせるべきだと主張する。ここでは妥協や対話は目的ではなく、相手の譲歩を引き出す圧力の運用が重視される。要するに、パワーと正当性の主張を組み合わせ、既成事実の積み上げによって現状変更を正当化する論理である。「権利擁護」とは「既成事実化」の常態化である。

 相反する政策志向の「並存」と政策決定の二重性
 重要なのは、二〇一〇年代前半の中国の対日政策論において、「危機管理」と「権利擁護」が時系列的に入れ替わったのではなく、同時に存在していたという点である。外から見れば、中国は圧力を強めつつ対話もするという二面性を示す。だが本稿の立場は、この二面性を外形的な矛盾として処理するのではなく、相反する目的――最悪事態の回避と、権利・地位の既成事実化――を同時に追求する政策過程の帰結として捉えることにある。

 結果として外部から観測されるのは、現場では権利擁護の論理に従って圧力を継続しつつ、外交では危機管理の論理に従って対話と制度化の余地を残すという併走である。この組み合わせは一見すると不整合に見えるが、当時の合意形成の局面にも明確に刻印されていた。

 たとえば二〇一四年十一月の「日中関係の改善に向けた話し合い」(中国側は「四点原則共識」)には、「双方は、尖閣諸島等東シナ海の海域において近年緊張状態が生じていることについて異なる見解を有していると認識し、対話と協議を通じて、情勢の悪化を防ぐとともに、危機管理メカニズムを構築し、不測の事態の発生を回避することで意見の一致をみた」という文言が盛り込まれた。合意後、両国はAPECという多国間の場で首脳会談を実現させた。他方、その直前まで中国は対日世論戦を展開していた。

 これを外形的に「不整合」や「ダブルスタンダード」と断じるのは容易である。しかし政策過程としてみれば、それは異なる利益と論理を代表する国内アクター間の均衡の帰結と捉えることができるのではないか。すなわちこの文書は、危機管理の合意装置であると同時に、権利擁護を破局に至らせず継続するための安全装置でもあった、と読むことができる。

 ジレンマの行方:2012年との決定的差異
 二〇一〇年代初頭から半ばの言説空間が示すのは、中国の対外行動を「強硬」か「柔軟」か、という二元論で捉えることの限界である。政策コミュニティには相克する複数の論理が内在しており、その出力は国内外の環境に応じて組み替えられる。

 しかし、この歴史的教訓を、二〇二六年現在の情勢にそのまま当てはめることには慎重でなければならない。なぜなら、当時と現在とでは、前提となる「中国の自己認識」と「外交プレイヤー」、そして「国内の政治環境」が変質しているからだ。

 現在、二〇二五年十一月以降の日中関係において、中国側の対応はかつてないほど「頑な」である。背景にあるのは、圧倒的な国力の伸長に裏打ちされた自信と、台湾問題等をめぐる譲れない核心的利益の主張である。加えて、かつてのように柔軟な対日アプローチを進言できる知日派実務者が中枢において相対的に存在感が弱まっているように見えることも、事態の膠着に拍車をかけている。「危機管理」と「権利擁護」のバランスは崩れ、現在は後者の論理が政策空間をほぼ独占しているように見える。

 筆者の目にも、現下の中国において「危機管理」のメカニズムが即座に機能するとは映らない。日本側が「対話にオープンである」と呼びかけたとしても、中国側がそれに応じる政治的、実利的な動機は、十年前とは比べものにならないほど低いのが冷厳な現実である。

 関係硬直期における「備え」の本質

 では、もはや「危機管理」の出番はないのか。本稿の結論は、否である。むしろ、中国が自信を深め、強硬姿勢(権利擁護)を一切のブレーキなく突き進む可能性を予感させる今だからこそ、逆説的に「危機管理」の論理的準備が重要になる。

 なぜなら、相手が譲歩しない前提で圧力を高めれば高めるほど、現場における偶発的な衝突や、意図せぬエスカレーションのリスクは幾何級数的に高まるからだ。中国が自らの行動を「正当な権利行使」と信じて疑わない現状こそが、最も危険な「管理不能」な事態を招き寄せる。その時、事態を破局(軍事衝突)から引き戻すことができる唯一の回路は、政治的な善意や妥協ではなく、冷徹な「危機管理」の実務手順だけである。

 したがって、現在我々に求められる態度は、可視化された中国の強硬な言説(権利擁護論)に一喜一憂し、感情的に反応することではない。第一に、中国の頑なな姿勢を現実として直視し、対中抑止力の強化にむけた取り組みをすすめることである。もっとも、こちらの防衛努力が相手の過剰な恐怖を招き、事態を悪循環させる「安全保障のジレンマ」には自覚的であるべきだ。だからこそ、物理的な備えと並行して、日本の意図を正確に伝え、不必要な誤認を防ぐための戦略的コミュニケーションを強化すること[注4]。同時に、日中二国間のみならず、第三国や国際社会の枠組みを通じて、中国の行動がもたらすリスクを客観的に指摘し続けること、すなわち日本の「責任ある行動」と相手側の「頑なさ」を対比させていくことも、広義の抑止力となり得る。これらを通じて、中国側に「危機管理」を再起動させるインセンティブを与える。第二に、将来的に中国自身が(あるいは国際環境の変化によって)、リスク制御の必要性に迫られた瞬間に備え、ホットラインや現場の回避ルールといった「技術的な受け皿」を、政治的文脈から切り離して保全し続けることである。

 かつてのように「待っていれば振り子が戻る」という楽観論は通用しない。しかし、どれほど強大な国であっても、破局的な衝突を望まない限り、どこかで「危機管理」の論理を再起動せざるを得ない局面が訪れる。日本にとって危機管理は相手の主張を受け入れることではない。長期化する緊張関係を制御不能に陥らせないために、その微かな、しかし決定的なタイミングを見逃さないための知的、実務的準備こそが、この時代における日本の役割である。

[注1] 二〇〇八年十二月、中国公船が初めて尖閣諸島周辺の領海に侵入し、海洋進出の圧力が表面化した。続く二〇一〇年九月に尖閣諸島周辺の日本領海で、中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突する事案が発生し、日中間の外交関係は極度に悪化した。そして二〇一二年九月に尖閣諸島のうち三島(魚釣島・北小島・南小島)の民法上の所有権が民間人から国に移したことを経て、中国の海洋法執行機関に所属する船舶が領海内に侵入するようになった。中国側による常態的な領海侵入や大規模な反日デモが発生し、東シナ海における「現状変更の試み」が本格化する大きな転換点となった。この間、中国国内の国際政治学系の主要な学術誌には、様々な日中関係を分析した論考が掲載された。CNKIに収録されている、題名に「釣魚島」を含む「期刊論文」(定期刊行学術誌に所収された論文)、「報刊記事」(国際時事報道誌に所収された評論記事)は、年別に、二〇〇八年に一七本、二〇〇九年に二二本、二〇一〇年に七二本、二〇一一年に六六本、二〇一二年に三七〇本、二〇一三年に二八五本、二〇一四年に一六六本、二〇一五年に七九本であった。本稿は、これらの論考のなかから、主要大学やシンクタンクに所属し、主要な媒体で反復的に発信している研究者(中国社会科学院日本研究所、中国国際戦略研究基金会、北京大学、清華大学、中国人民大学)の合計二三本の論考を分析した。本稿は議論を人物に帰着させないため、執筆者の提示は原則として必要最小限にとどめ、議論の型の比較に焦点を置いた。

[注2] 例えば以下の論考がある。張沱生「挑戦、機遇與対策」王緝思主編『中国国際戦略評論 2013』二〇一三年、三十一−四十一頁。

[注3] 例えば以下の論考がある。劉江永「日本武力介入釣魚島的図謀與法律制約」『国際問題研究』二〇一二年第五期、九-二十二頁。左希迎「中国在釣魚島争端中的戦略動員」『外交評論』二〇一四年第二期、三十五-五十四頁。呉懐中「日本在釣魚島争端中的国際世論動員」『外交評論』二〇一四年第三期、八十三-一〇六頁。

[注4] 筆者は、二〇二五年年十一月九日の高市早苗首相の衆議院予算委員会における発言を契機とした日中間の緊張を、中国の正統性「物語」と日本の生存「物語」の衝突という構図で論じたことがある。拙稿「日中で衝突する2つの『物語』」『週刊東洋経済』2026124日号、三〇-三一頁。


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