第50回 カンボジアと対人地雷 直井謙二

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第50回 カンボジアと対人地雷

1992年の内戦終了から18年がすぎ、最近はカンボジアでの対人地雷のニュースがなくなった。
国連主導の和平に向けた総選挙が行われた当時は、新聞もテレビも毎日のようにカンボジアの対人地雷の被害を伝えていた。

埋まっている地雷の数は1000万個に上り、国民1人に1個ずつあるとも言われていた。カンボジアの国内情勢が落ち着きを取り戻し、ニュースにならなくなったこともあるが、実際に地雷による被害が激減した。

各国のNPOなどの地雷撤去の活動によるところもあるが、野生動物や家畜が地雷を踏んで爆発したケースもある。問題は、この18年で戦場を農地に戻す際に大勢のカンボジア農民が被害に遭ったことだ。

カンボジアは内戦で農業生産が落ち込んでいた。90年代初め、カンボジア政府は新たな開墾をすれば土地を所有できるという政策を打ち出した。

タイの難民キャンプから祖国に戻った人々を中心に新たな開墾が始まった。井戸もないような荒れ地の開墾は大変な労働だが、加えて荒れ地は元戦場だった。

カンボジア西部の都市バッタンバンから、最後までポル・ポト派の支配地区だったパイリンまで取材した。パイリンに行けば、ポル・ポト派ナンバー2のイエン・サリやチャイ・ユランなど幹部のインタビューを取材できる。

だが、政府軍とポル・ポト派の戦闘が最後まで続いていた戦場だけに、辺り一面は地雷原だ。ドクロを書いた無数の赤い警告板が風に揺れ、手作業の地雷撤去が行われていた。(写真)

対人地雷は日本円に換算して1個60円から100円程度で造られる安価な小型の地雷で、殺害能力はない。ただし、爆発すれば手足を失う。兵士は戦闘能力を失うが、生存しているので戦闘の足手まといになるという卑劣な武器だ。

取材に夢中になり、ファインダーをのぞいていたカメラマンから「そこ! 地雷!」と何度か怒鳴られた。だが、驚くべき光景に唖然とした。

警告板のすぐ脇に新しいわらぶき小屋が建ち、子供が走り回っていた。農民は警告板の意味を十分理解しているが、怖がっていたら、別の人が開墾してしまう。開墾競争で地雷などかまっていられないという。

やっと到着したパイリンの町は、思ったほど貧しくなかった。大型の4輪駆動ジープで現れたイエン・サリらポル・ポト派幹部は田舎町の商店主といった感じだった。パイリンの町外れにはカジノがあり、客はほとんどが国境を越えてやって来たタイ人だった。

カジノで乱れ飛ぶタイ・バーツ紙幣と地雷原を走り回る子供のコントラストにめまいがした。


写真:地雷撤去作業

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