第582回 華僑の故郷シンガポール 直井謙二

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第582回 華僑の故郷シンガポール

中国の沿岸部を中心に明代末期や清朝末期には大量の華僑が東南アジアを目指した。その多くは、貧しさから抜け出すためで「天朝棄民」という言葉がある。国から見放され国を捨てた華僑だが心中には複雑なものがある。

通婚が進むタイなどでは華僑であるかどうかほとんど意識されていない。一方、マレー系の国民が大多数を占めるマレーシアやインドネシアとなると事情は複雑だ。言葉や習慣それに宗教の違いから壁があり、世代交代が進んで中国に住む親戚とも疎遠になる。

ベトナムは長い間中国の支配を受け、80年代にも中越戦争が起きた。ベトナムに渡った華僑華人はふたつの祖国の間で揺れ動く人が多い。ベトナムの通貨ドンよりは金やドルで資産を貯め、いつでも脱出できるように川べりに係留した船を住居にしている華僑華人も少なくない。(写真)ボートピープルはほとんどが華僑華人だ。



タイ以外の華僑華人の心のふるさとはシンガポールのようだ。シンガポールは香港のように中国政府の圧力がなく安定している。そして、ビジネスが優先で民族間の軋轢がない。それを痛感したのはアジア通貨危機をきっかけに1998年スハルト政権が崩壊した時だった。独裁と経済の混乱に不満を持つ反政府のデモが起き、ジャカルタ市内に20本以上の火柱が立ち上るのが見えた。

その時は、アジア支局総出の取材となった。さらに10人以上の華僑華人系インドネシア人の若者を臨時の取材助手として雇用した。デモが激化し、スハルト政権と癒着していた華僑華人に不満を持つ分子が中華街を焼き討ち、数百人の死者が出た。取材に出た同僚のレポートがすさまじい内容だった。「遺体が次々に運び出されてきます、もう何人かは把握できません」。

後日、中華街を訪ねるとひいきにしていた饅頭のおいしい店は跡形もなくなっていた。事件後、華僑華人であるインドネシア人の取材助手全員が浮足立ち家族の分の航空券も握りしめ、シンガポールに脱出すると言い出した。シンガポールの銀行口座には当分暮らせる貯金もあるし頼る親戚もいるという。取材陣は日本人、タイ人、香港人、フィリピン人などで構成されていてインドネシア人がいなくなれば取材はおろか危険な状態になる。

華僑華人のインドネシア人取材助手と全員家族も含め、ホテルに避難・収容することを決め10部屋ほど追加予約した。取材拠点のホテルのワーキングルームでは年取った華僑のおばあさんが取材スタッフにお茶のサービスをするという奇妙な光景が見られた。華僑華人の故郷はシンガポールだと言えそうだ。

 

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