筆者は京浜工業地帯の中心に位置する神奈川県川崎市で育ったので、日本の高度経済成長時代の負の側面と言える公害問題を間近に見てきた。かつて、川崎市の臨海部には大きな製鉄会社が24時間体制で操業を続け、自宅から海の方向を見ると、夜空を工場の明かりや加工途中の製鉄が紅色に染めていたのを思い出す。工場の煙突からはもくもくと煙が青空に流れているのが見えたが、公害問題が深刻化する以前は、こうした工場地帯の光景は、むしろ経済発展の象徴として見られていたのを子供心に覚えている。
しかし、それが大気汚染や、東京都との境を流れる多摩川の中流・下流部の水質悪化が急速に進行するにつれ、深刻な公害問題と認識されるのに時間はかからなかった。重化学工業の工場が多い川崎やその周辺では、大気汚染や河川の水質悪化が主な「症状」だったが、国内各地に目を向けると、熊本県の水俣病や三重県の四日市ぜんそく、富山県の神通川流域でのイタイイタイ病などが明るみに出て、環境破壊による人的被害の広がりに、国民の多くが声を失った。こうした事件をきっかけに、各地で住民による公害反対運動が高まり、環境保護意識が徐々に醸成されていく。
タイにある最新の設備を備えた工業団地