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第59回 集中講義と外国人留学生 伊藤努

第59回 集中講義と外国人留学生 伊藤努

第59回 集中講義と外国人留学生

3年前から毎年夏、大学准教授を務めるゼミの後輩に頼まれて関西にある国立大学の大学院で非常勤講師として集中講義を行っている。大学院の授業なので、1コマ1時間半の講義・演習では、筆者が半分の時間を使って話し、後半は極力、テーマを振って学生主導の討論となるように心掛けている。受講生は、学部を卒業したばかりの若い日本人学生と社会人の学生、それにアジアを中心とした海外からの留学生がそれぞれ3分の1ずつといった組み合わせが続いており、教室内は世代も違い、国籍も異なるという「国際的な空間」となっている。従って、議論は、取り上げるテーマによって時に世代間の論争になったり、留学生から日本国内ではあまり聞かない意見が飛び出したりといった具合に、進行役を仰せつかる教師の筆者にとっても大変興味深く、自分自身の勉強にもなる。

授業の題目は一応、「メディアと異文化理解」とし、さまざまにあるメディアの情報を主体的に活用することで、外国や国際社会の理解に役立つことを自らの記者経験などを基に話している。講義終了後はこちらが教務学生課に提出する成績のほかに、学生による授業評価もあるということで、集中講義が曲がりなりにも続いているのは、心優しい大学院の受講生たちがぎりぎりのところで合格点をくれているからだろう。韓国政府から派遣された社会人留学生の金君が昨年夏、「先生の授業は自らの体験や経験を紹介した上で、独自の知見を説明するので、外国人のわたしにも理解でき、いろいろな見方が可能であることがよく分かった」と感謝の言葉をくれ、うれしかった。

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集中講義終了後の打ち上げ会、右側に留学生の顔が並ぶ

外国人の学生が同じ教室にいることで気をつけることがあるとすれば、日本人だけの場合であれば、省略するような話や話題も、日本社会の事情に疎い留学生に分かるように説明しなければならないという点だ。換言すれば、相手がよく理解できるように背景説明をし、論点整理をする必要があるということだ。授業が進み、討論に慣れてくると、日本人学生も「日本人だけの腹芸」では意思の疎通がままならぬことを知り、外国人留学生にも十分理解できる説明や発言をするようになる。外国人留学生がいることの効用の1つだろう。

日本人の多くは長く、島国社会の体質が染み込んでしまっているので、内輪同士の話は得意でも、外に向かって自らの立場を説明し、説得するのは苦手だと思われてきた。現在のグローバル化が進めば進むほど、国境の垣根は低くなり、異文化の外国人とのコミュニケーションは重要性を増す。もちろん、国際共通語の英語を自由に使いこなすようにするのは当然のことだが、それ以上に大切なのは自らの意見を持ち、それを他者にも伝える能力だろう。

15コマ、1週間にわたって続く集中講義では、年代や経歴、国籍も違う学生たちが議論という土俵上のルールを体得してもらうのも筆者の大きな眼目だ。そうした議論に参加するためにも、内外の情勢を詳しく伝える新聞やテレビなどのメディアを積極的に活用することの重要性を学生諸君に訴え掛けている。

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