霞山会のホームページに掲載のこのコラムを始めて1年余りがたった。活字メディア出身の筆者とテレビ局の報道記者だった直井謙二氏が取り上げるテーマやネタ(話題)のさばき方も随分違うと書き手自身が気づいているが、第1回のコラムで書いたように、多種多様なアジアの諸相を描くには、異色コンビの組み合わせもいいのではと改めて実感している。
筆者らのコラムを読んでいただいた方から、感想が寄せられることも多く、励みになっている。今年初め、タイの投資環境視察のため同国を取材したが、視察団一行には新聞記者のほかに、東京と大阪の経済団体で中小企業の海外進出を支援している関係者も何人か含まれていた。そのミッションで面識を得たのが、大阪の経済団体に勤務するMさんだった。60代半ばのシニア世代のMさんは長く、有力家電メーカー・グループの貿易会社で勤務し、海外駐在経験も豊富だ。現在は攻守所を変え、関西地域の中小企業の海外進出を後押しする仕事に従事している。
タイ投資環境視察ミッションの一行
そのMさんが筆者と直井氏のコラムを読んで、以下のような感想を寄せてくれた。海外をよく知るビジネスマンOBの「憂国の情」がにじみ出ている文章なので、今回は一部を紹介させていただく。
「アジアの今昔・未来」のコラムを第1回から順次楽しく拝読させて頂いております。
確かに1960~70年代の流動的で不安定なアジアにあって、日本は相対的に平和な環境に恵まれ、1980年代の成長へのエネルギーを溜め得たことはラッキーなことでした。しかし、現時点では状況は明らかに逆転の軌道に入っており、成長過程に入った日本以外のアジアとは対照的に、わが国の落日を目の当たりにし、心が痛みます。若者・企業・経済人・政治家・官僚・医師、そして社会の不協和と老人への配慮を欠いた社会問題など、すべての分野にわたる今日のモラルの崩壊は、貧しい中で努力してきた過去の日本の時代にはあまり見られなかったことです。
私たちは豊富な物資に囲まれても心の満足感を伴わない現在の生活の中で、将来を見通せずにいる疲れ果てた醜い社会と、このままでは希望を見いだせない日本の姿を感じてしまいます。小学生に、将来何になりたいかを問うたところ、答えは「役人」で、理由は「生活が安定しているから」とのことであったと聞いて、日本はこれから世界の中で3流国としての低未来志向型・低モラル国になる過程にあると思いました。国の未来を形づくることのできない教育は、日本が過去に有していた価値観やモラルを台無しにすることを恐れます。私たちはモノを得る代わりに、何かを忘れてきてしまったのですね…。
これからも、伊藤様や直井様の記事を拝読させて頂きながら、「アジアの昔と今、そして未来」を想像しつつ、日本という国がどのようにアジアの国から学んで、かつては日本人の内面にあった優しさとその気概ある社会を取り戻す道に日本を向かわせねばならない、と思った次第です。
Mさんの日本に対する現状認識がr悲観的に過ぎるかどうかは意見の分かれるところかもしれないが、読者の皆さんはどうお考えだろうか。