昨年の夏、中国が実施した人民元の切り下げを巡り、東南アジア各国が苦慮しているという。通貨切り下げは振るわない輸出を後押しする反面、資金の流出を招く。積極的に自国通貨安に誘導しているベトナムに対しインドネシアなどは慎重だ。
昨年11月、ダナンやホーチミンなど南部ベトナムを15年ぶりに訪ねたが、1ドルが2万2,000ドンだった。(写真)初めてベトナムを訪れた1986年、公定レートは1ドル=17ドンだったからこの30年でドルはドンに対して1,300倍になったことになる。もっともこの頃は闇レートが横行していた。それでも1ドル=100ドン程度だった。ドン安に対し庶民は知恵を絞り、ドルに交換してタンス預金し、対ドルでも値段の安定しているホンダの中古オートバイを購入したりしていた。ベトナム政府が実効レートと公式レートの差を縮める政策を打ったことなどから、さらにドンは切り下がり90年代にはおよそ1ドル=1万ドンになった。
80年代までベトナムは自国通貨の持ち出しを禁止していた。もっとも下落を続けるドンを国外に持ち出す渡航者もいなかった。ハノイで入国手続きと通関手続きをしていた時のことだ。使い残したドンを発見され国外に持ち出したことを追及された。押し問答をしているうちに前回の出国時3,000円程度だったドンがさらに下がり2,000円以下になっていることに気が付いた。早く入国を済ませたいこともあって謝罪したうえで所持してドンを手渡した。2,000円でも当時のベトナムでは公務員の1か月の給料に相当する。係官は筆者が賄賂を贈ってことを収めようとしていると勘違いし、受け取れないと拒否する。結局、二度とドンを持ち出さないことを約束して無罪放免になった。
アジア通貨危機さなかのインドネシア、1998年のことだ。ルピアは日に日に下落しスハルト独裁政権崩壊の引き金になった。1ドル=2,500ルピアがたちまち10,000ルピアになった。土産物屋で値段交渉をしている時のこと。東南アジアでは値段交渉も買い物の楽しみの一つだ。価格はルピア表示だが、日本円にして100円程度の差を巡っての交渉になった。
100円でも交渉で敗北したという気持ちになりたくなかったので買わずに帰った。何日か経ち、ルピアはさらに下落した。土産物は円換算にすると筆者の言い値より安くなった。再び土産物店に行き、売り手の言い値で土産物を手に入れた。値引きしなかった店員も筆者もウインウインの関係になった。
写真1:ベトナム通貨ドン紙幣
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