第270回 フィリピン4半世紀ぶりの米軍基地(2) 直井謙二

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第270回 フィリピン4半世紀ぶりの米軍基地(2)

1991年9月フィリピンの上院が米軍基地の存続条約の批准を否決したことを受けて、アメリカは11月にはクラーク空軍基地を、その1年後にはスビック海軍基地を返還した。フィリピンはアメリカの意外な速さでの基地撤退に戸惑ったようだ。90年代の半ば、両軍基地を取材した。

3メートルほどの泥流の壁は何とか避けられたが、車は何度も泥流に埋まり近くの住民の助けを借りた。(写真)クラーク基地の滑走路は泥流が覆い、壊れた管制塔のパネルは火山灰で覆われていた。米艦船が姿を消したスビック海軍基地には止まった大きなクレーンだけが岸壁に残っていた。

スビック海軍基地に近いオロンガポの元繁華街には廃墟となった米国式の酒場やディスコが立ち並んでいた。数人の米退役軍人の観光客がさびしそうに町を歩いている。かつてフィリピンに滞在し、酒場やディスコで余暇を過ごした退役軍人がノスタルジア・トリップで訪れたと見られる。

ラモス政権は両基地を利用し、外資を呼び込む政策に打って出た。スビック基地跡地は経済特区となり優遇税制が採られ、早々と台湾企業が操業を始めていたが、首都マニラまでの輸送環境など多くの問題を抱えていた。

フィリピン経済はアロヨ政権下で4.4%の成長を遂げた。しかしその内容を見るとアロヨ政権下での9年で海外労働は84万人から142万に増え、海外からの送金は60億ドルから倍以上の173億ドルに増えている。現在、世界の成長を支えてきたアジアの経済減速が目立つが、海外労働に頼るフィリピン経済は好調だ。逆に言えば国内に産業が育っていないことを示していて、基地跡を利用した経済特区も成果を上げられなかったようだ。

米軍の去ったフィリピンの安全保障は極端に低下した。艦船は古い沿岸警備艇だけ、航空機に至ってはベトナム戦争時代のファントム機が4機、それも整備が十分ではない時代もあった。
毎年、軍事費の増額率が二桁を超す中国と対抗できる状態ではない。四半世紀弱を過ぎ、オバマ政権のアジア重視政策と中国の海洋進出が再びフィリピンに米軍を呼び戻したようだ。

クラーク空軍基地やスビック海軍基地が再び活況を呈するのもそう遠いことではなさそうだ。米軍基地の復活がフィリピン経済に与える影響も注目されている。母親のコラソン・アキノ元大統領の時代に撤退した米軍基地が息子で現職のベニグノ・アキノ三世大統領の時代に戻ってくる。


写真1:泥流で立ち往生した取材車

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