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第268回 フィリピン 4半世紀ぶりの米軍基地(1) 直井謙二

第268回 フィリピン 4半世紀ぶりの米軍基地(1) 直井謙二

第268回 フィリピン4半世紀ぶりの米軍基地(1

およそ四半世紀前にフィリピンから撤退した米軍基地が再び戻ってくる。(写真)米国とフィリピンは4月末、米軍の再拠点化とも言える新軍事協定に調印した。一時滞在のための施設設置も可能で南シナ海の監視に有効な旧スビック米海軍基地や旧クラーク米空軍基地に米艦船や空軍機が戻ってくる可能性もある。

東西冷戦構造が崩壊する前、両軍基地は極東最大の米軍基地だった。ASEAN首脳会議や外相会議でのフィリピン首脳陣による会見、間接的にアメリカのアジア戦略を取材しようと大勢の記者が詰めかけたものだった。スビック基地には海兵隊を訓練する施設があり、クラーク基地からはベトナムに向け爆撃機が飛び立った。

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ベトナム戦争に敗北したアメリカはアジアへの関与に消極的になった。ベトナム戦争直後、カンボジアでは原始共産主義のポル・ポト政権が樹立、中国などごくわずかな国としか外交関係を持たず多くの謎に包まれた国だった。200万人ともいわれる自国民を虐殺したことが分かるまでおよそ4年もかかった。アメリカもポル・ポト政権に積極的な対応を取らなかった。

当時、ベトナム戦争の和平交渉などで活躍したキッシンジャー元米大統領補佐官はアジア、特にベトナムへの関心について「アメリカの支援はABC順に行われるだろう」と語っていた。
アルファベットの終わりに近いVで始まるベトナムへの支援や関心は最後に回されるという意味だったのだ。

中国をにらんで米越合同軍事演習が行われる時代が来ることは誰にも想像がつかなかった。
同時に旧ソビエトの艦船が停泊するベトナムのカムラン湾をにらむクラーク、スビック両米軍基地が撤退することも予想できなかった。撤退に大きな影響を与えたのは90年の東西冷戦構造の崩壊と91年のピナツボ火山に噴火だ。

フィリピンのアキノ政権は「黄色い革命」でマルコス政権を倒し、国内にナショナリズムが台頭した。またアキノ政権は経済運営に失敗し財政は厳しい状態に追い込まれていた。91年、フィリピンは在比米軍の借用料の値上げを求め、アメリカと交渉を続けた。一方でソビエトの崩壊などで両基地の重要性は失われていた。加えて914月、突然ルソン島中部のピナツボ火山が大噴火し、泥流がクラーク空軍基地やスビック海軍基地へも押し寄せた。泥流がクラーク空軍基地の滑走路につもり、スビック海軍基地のすぐそばまで押し寄せた。米比双方に米軍撤退の論議が高まった。


写真1:スビックから撤退する米海軍 916

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