東南アジアに駐在するの特派員にとって、取材しにくい国の1つがミャンマー、かつてのビルマだ。戦後のネ・ウィン独裁時代も半分鎖国状態の上に、突然最高額紙幣を無効にするなど、国の政策も分かりにくい。
1988年夏、スー・チー女史率いる民主化運動に火が付き、国中でデモが繰り返され、筆者は赴任先のタイのバンコクから何とか隣国ビルマに入国しようとしたが、取材ビザが出ない。在バンコクのビルマ大使館だけが発給を拒んでいるのではと香港のビルマ大使館まで出かけた同業他社の特派員も虚しく帰ってきた。
東南アジアの国々が貿易や投資の自由化で高度経済成長を遂げる中、ビルマ経済は破綻し、国連から最貧国扱いを受けた。
97年、ヤンゴンのロータリーに座り込み、民主化を求める学生に容赦なく軍警察が襲いかかり、筆者も危機一髪、現場から逃げ出した。(写真)
2000年代に入っても軍の弾圧が続き、取材中の日本人カメラマンが銃で撃たれ死亡する事件が起きた。国際社会から非難され、経済制裁を受けたミャンマーは欧米から距離を置き、民主化や人権問題で国際世論の非難を浴びつつも、経済成長著しい中国に接近した。
一転、去年の3月に発足したテイン・セイン大統領率いる新政権は大方の予想を上回る早さで民主化を推し進め、国際社会の経済制裁解除による外資導入で国内経済再建を試みようとしている。
ミャンマーはインドと中国という大国に挟まれ、流通と金融は華僑に、農業は印僑に支配された上に、イギリスの植民地支配も受けてきた。外国はこりごりで信用しないという国民性が根付いた。
大戦中、旧日本軍の力を借りてイギリスを放逐しながら、独立を認めないことが分かると、劣勢の旧日本軍にゲリラ戦を挑み、戦後は一転補償を求めないなど日本もミャンマーのしたたかさを味わった。
独立後は外国の経済支配を極端に警戒し、産業のほとんどを国有化し、半鎖国状態を保つネ・ウィン政権のビルマ式社会主義が生まれた。最高紙幣の突然無効も、政府は最高紙幣を持つ富裕層は華僑か印僑であり、貧しいミャンマー人に影響はないと説明してきた。
明や清など古代から中国政府や華僑の支配を受けてきたミャンマーは中国に近づきすぎたのを警戒し、欧米や東南アジア、それにインドとの距離を詰め、バランスを取り始めたとも言える。大国の狭間で生き抜いてきたしたたかなミャンマーは、これからも意外な行動を取る可能性がある。
写真1:97年最後の学生運動
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