第156回 チェルノブイリ原発事故とASEAN外相会議 直井謙二

第156回 チェルノブイリ原発事故とASEAN外相会議
東日本大震災による津波で福島第一原発事故が起きて1年、大量に放出された放射能による長く深刻な被害が広範囲に及ぶことが懸念されている。福島第一原発と同じ「レベル7」の最悪事故を引き起こしたチェルノブイリ原発事故と、10回近く取材した東南アジア諸国連合(ASEAN)外相会議を思い出した。
ASEAN外相会議はASEAN加盟国以外の議題が論議されることが多く、「座敷を貸す会議」と言われていた。例えば、1980年代はカンボジア紛争、まだベトナムもカンボジアもASEANに加盟していないにもかかわらず、重要な議題になっていた。
1986年4月末にインドネシアのバリで開かれたASEAN外相会議は少し趣を異にしていた。同外相会議の2カ月前、フィリピンではアメリカの支援を受けたコラソン・アキノ大統領の黄色い革命が成功し、マルコス大統領がハワイに亡命したばかりだった。
今回のASEAN外相会議こそ、フィリピンを中心にしたASEAN域内の議題が中心になると各国の記者は取材の準備を進めていた。各国の記者はフィリピンのラウレル外相を革命に成功した英雄のように取り囲み、取材が始まった。
マルコス独裁政権の失政で経済危機に陥ったフィリピンに対し、ASEAN諸国や日米が行う経済援助にも注目が集まっていた。(写真)

ところが拡大外相会議が始まった直後の4月26日、旧ソ連でチェルノブイリ原発事故の一報が入り、会議の様相が一変した。ソ連で起きた事故にもかかわらず、世界の注目はインドネシアのバリ島に集まった。当時のレーガン米大統領がASEAN拡大外相会議に参加するためバリ島に到着していたからだ。
東西冷戦構造の崩壊前で、原発事故の情報はアメリカに頼らざるを得なかった。ホワイトハウスのスピークス副報道官の記者会見の質問はチェルノブイリ原発事故に集中し、フィリピンを含めASEANに関する質問はほとんどない。
ASEAN拡大外相会議後も日本など各国の記者会見はチェルノブイリ関係ばかりだ。困ったのは取材後のテレビ・レポートだ。注目されないASEAN拡大外相会議か、それともチェルノブイリ原発事故の発表内容を伝えるべきか迷った。
結局、ASEAN拡大外相会議と情報がまだはっきりしないチェルノブイリ原発の両方をレポートしたため、中途半端な内容になってしまった。
「またしてもASEAN外相会議は座敷を貸す会議になってしまいました」。締めのコメントだけは自信があった。
写真1:議長を務めるインドネシアのモフタル元外相
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