1980年代半ばから90年代までマニラに駐在したり、フィリピンに取材に出掛けたりしたが、注意しなければならない2大噺(ばなし)は、生存している旧日本兵発見と山下財宝だった。
3カ月に1度ぐらいの割合で見知らぬ日本人やフィリピン人から特ダネとして持ち込まれるが、まず無視した方が無難だ。情報を確認する取材費と称して金を要求されるが、渡せばほぼなしのつぶてだ。
戦後65年以上がすぎ、生存している旧日本兵の発見は年齢的に無理な話になったのか、最近は聞かなくなった。代わって今、旧日本兵の遺骨が問題になっている。
2009年から厚生労働省は自ら行ってきた遺骨収集を東京のNPO団体に委託し、NPOは現地の住民に日当を払って孫請けした。この結果、年間100柱にも満たなかった遺骨収集が09年には7740柱、10年には6289柱と飛躍的に伸びた。これだけなら喜ばしいことだが、ルソン島中部に住む山岳少数民族イフガオ族などの墓が荒らされ、遺骨が盗まれる事件が頻発した。
先祖の魂を大切にする少数民族は、盗まれた遺骨が1000柱以上だと怒りを隠さない。
多数を占めるマレー系のフィリピン人はカトリックの葬儀に基づき、遺体を一体一体コンクリートで固め、埋葬するので遺骨が取り出しにくい。被害が少数民族に偏った原因の1つだ。
一方、日本側も遺骨をDNA鑑定した結果、日本人のものでない遺骨がかなりの数含まれていることを認めた。ただ、日本人のものでないと分かっても、どこから持ってきた遺骨なのか分からず、返却するのも困難だ。
80年代の末、日米の激戦地の1つだったコレヒドール島で600柱以上の旧日本兵の墓が発見され、取材したことがある。
激戦の末、島を奪い返したアメリカ軍の兵士が敵であるにもかかわらず、戦死した旧日本軍の兵士を慰霊するために造った墓で、当時の厚生省の担当者が遺骨を収集する様子も取材した。(写真) 墓からは遺骨のほかに、日本軍の地下足袋や戦闘帽なども出土した。
NPOも地元住民に日本軍の遺骨とともに遺品も収集するよう要請すれば、少しは被害が少なかったかもしれない。
フィリピンでは50万人以上の旧日本軍兵士が戦死し、まだ38万柱の遺骨が祖国に戻っていない。厚生省の担当者は、フィリピンのジャングルに眠る遺骨は1メートル離れれば見つけられないと遺骨収集の苦労を語っていた。
年間100柱にも満たなかった遺骨収集が、NPOに委託した途端に50倍以上も収集されたこと自体に疑問を持つべきだ。
写真1:コレヒドール島の旧日本兵の墓
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