第33回 消えゆく伝統工芸 竹森紘臣

第33回 消えゆく伝統工芸
ハノイという地名はもともとは漢字で「河内」と書かれる。河の内側と表現されているように水が豊かな都市で、現在でも市内にはいくつかの川が流れ多くの湖がある。ベトナム語では湖と表現されるが日本人からするとほとんどのものが池を連想するほどの大きさである。その周囲は人々が集まり憩う安らぎの場所だ。ハノイの古地図を見ると現在よりもさらに多くの河川や湖があったことがわかるが、一部の河川や湖は埋め立てられたり、蓋をして暗渠に変えられたりして徐々にその姿を少なくしている。
残っている河川や湖の大きな問題は水質汚染だ。先月は陶器工場の廃油が上流河川に不法投棄され、その汚染によりハノイ市内でも断水を余儀なくされる地域があった。また普段でも生活排水などが垂れ流しにされているため、ベトナムの汚染基準濃度を大きく上回る数値が計測されている。

かつてハノイの都市のエッジだった西部を流れるトーリック川もそんな水質汚染が問題となっている河川のひとつだ。最近は川沿いに歩行者道路が整備されたが、歩くのが憚られるほどの悪臭が発生している。数年前からとある日本企業も水質改善プログラムで参加していると聞くが、今でも生活排水が垂れ流されているようなので、改善はなかなか進まないだろう。この川を挟んで西側はCau Giay地区と呼ばれる。Giayは「紙」の意味で、かつてはこのエリアで紙の生産が盛んだった名残りが地名に残されている。かつてトーリック川の水が豊かできれいだったころ、その水源を利用してDuong(ズオン)と呼ばれる木の皮をつかった紙づくりが行われていた。約800年ほど前から紙づくりが行われていたといわれている。この紙は和紙のような風合いをもつものだ。(写真1)今でもトーリック川沿いにはこの木が多く残っている。しかし現在では水質汚染や地価の高騰、需要の低下によりハノイ市内では生産されなくなった。

現在、ハノイから西へ80km、車で1時間半ほどのホアビン省にこの紙をつくっている村がある。ホアビン省には少数民族が数多く生活している。この村はムオン族の村だ。もともとこの村に紙づくりの工房があったわけではない。10数年前に政府が伝統技術の保護のためにこの地域を指定して工房をつくった。この地域には山から流れるきれいな水があるからだという。現在は5世帯がこの紙づくりに携わっている。紙の製法は和紙のそれと近い。木の皮を剥いで細かくしたものを煮て紙漉きの材料をつくる。そして紙漉き器をつかって一枚一枚、紙を漉いていく。(写真2)ちなみにベトナムでは日本と同じ楮(コウゾ)の木の皮から紙をつくっている地域もある。有名なドンホー版画で使用される紙で、ドンホー村のあるバクニン省で生産されている。この紙は版画のためだけではなく、ベトナムのお正月に欠かせない爆竹をつくるための紙としても使われていた。しかし数十年前にベトナム政府が正月の爆竹の使用を禁止したこともあり、こちらも需要の減少で現在では2世帯のみで生産が行われている。Duongの木は楮に比べると丈夫で育ちやすいことから、ホアビンではこちらの木を育て、紙づくりを行っている。3mほどの高さに育った1本の木から取れる皮でできる紙は、わずか1平米ほどのものが2枚程度で、1日20枚程度が生産されている。

生産性はそれほど高くなく、需要もそれほど高くないので、継続が非常に難しい。活動の初期には政府や外国からのサポートがあったものの、数年間のプロジェクト実施後、継続的支援は得られていない。ベトナムには同様の伝統工芸が多くあるが、現在は社会的企業のサポートにより、デザイン性を高めた高付加価値商品の開発などが行われている。伝統的な材料や技術の自立した継続のためにこのような活動が欠かせないのは世界中で変わらない状況だが、ベトナムは今が過渡期であると思う。完全に失われてしまう前に、上手に社会に残っていくように建築と絡めた活動の中でサポートをしていきたい。
写真1枚目:Duong からできた紙
写真2枚目:ホアビンでの紙漉き風景
写真3枚目:ホアビン省の地図
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