〔27〕韓国から北朝鮮へ旅行ができたうたかたの南北融和期間 小牟田哲彦(作家)

〔27〕韓国から北朝鮮へ旅行ができたうたかたの南北融和期間
2023年の暮れ頃から、北朝鮮は韓国を「敵対する別の国家」と位置付け、南北朝鮮の統一という長年の国家目標を放棄する姿勢を明らかにし始めた。平壌市内にある南北統一を祈念するモニュメントが撤去され、地下鉄の「統一駅」は単なる「駅」に名称が変更されたという。新型コロナウイルスの流行開始後から中断が続いている日本人向けの北朝鮮観光旅行では、”南北分断の象徴”とされる軍事分界線上の板門店を訪ねるのが定番になっていたが、今後はどのように案内されるのだろうか。
その板門店のすぐ北側にある高麗王朝時代の古都・開城へ、韓国側から軍事分界線を越えてバスで日帰り旅行ができる団体ツアーが、2007年から2008年にかけて実施されていたことがある。北朝鮮に対する宥和策を採る廬武鉉が韓国の大統領だった時代にスタートした事業の一つで、ソウルから観光バスに乗って70km北の開城を訪ね、市街地にある高麗時代の史蹟や郊外の名瀑などを巡るコースが設定されていた。「ソウルから日帰りで北朝鮮へ観光に行ける」という物珍しさからか、大勢の韓国人が連日参加したという。
このツアーには、外国人旅行者にも参加が認められていた。韓国人の参加者は特殊な観光証を持って北へ出入りするのだが、日本人を含む外国人は身分証明書としてパスポートを使用する。韓国側では出入境(韓国にとって北朝鮮は建前上、外国ではないので「出入国」ではない)事務所でパスポートに「DORASAN」(都羅山)の地名入りの出国(出境)スタンプが押される(画像参照)。ハングルで「都羅山→開城」というスタンプも同時に押される。一方、北朝鮮側の管理事務所ではパスポートチェックはあるが、押印はされないので、北朝鮮側が自国領内への出入りを認めた公的な痕跡はパスポート上には残らない。
(都羅山~開城の出入国スタンプ)
ツアー中は団体行動が原則で、順番に訪れる観光ポイントではバスを降りて現地ガイドの解説を聞いたり、ツアー客向け専用の売店で土産物を買ったりすることはできるが、現地の市民との接触はできない。移動中のバス車内からの写真撮影も厳禁で、ソウルへ戻るときは北朝鮮側の出境管理事務所でデジカメの画像を全部チェックされ、不都合なカットはその場で削除させられることになっていた。
そんな不自由な観光ツアーではあったが、韓国人にとっては、ソウルの通勤圏内に入りそうな近い場所に、同じ言葉を話す同じ民族が住んでいる別の国があるという事実を、自ら直接体感できる貴重な事業だった。残念ながら、開始から1年も経たないうちに、南北関係の変化の影響を受けてこの開城観光は中断してしまった。将来の統一に向けた南北協調事業であった以上、北朝鮮が韓国を「敵対する別の国家」と言い出した今となっては、当面の再開は望み薄であろう。長い南北分断の歴史の中で一瞬だけ奇跡的に実現し、あっという間にまた消えてしまった、まさにうたかたの観光ツアーであった。
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