第284回 ポルポト派幹部に終身刑を言い渡した特別法廷(その1) 直井謙二

第284回 ポルポト派幹部に終身刑を言い渡した特別法廷(その1)
2014年8月、カンボジアの特別法廷は、旧ポルポト政権で序列2位のヌオン・チア被告と5位のキュー・サムファン被告に終身刑を言い渡した。すでにポルポト元首相は死去していることから(本連載、第120回「ロケット砲が飛び交うポルポトの葬儀」を参照)最高幹部にポルポト政権下の虐殺を糾弾する判決が出たことになる。
初めてキュー・サムファン元首相の姿を見たのは92年から始まったカンボジア和平会議中だった。
シアヌーク派、ソン・サン派、ポルポト派それに実効支配しているフン・セン政権の間で繰り広げられていた内戦に終止符を打ち、国連主導の総選挙の実施が迫っていた。日本が初めてPKO活動に参加し、自衛隊の施設部隊や文民警察がそれに国連ボランティアなどが派遣されたこと、国連の明石事務次長が国連特別代表として総選挙の指揮を執ったことから日本でも注目された。

当初、楽観的な空気が流れていたが、ポルポト派だけが総選挙に反対し和平会議は暗礁に乗り上げた。4派に国連を加えた会議が何度も開かれたが、ポルポト派はかたくなに反対し続けた。カンボジアに侵攻しポルポト政権打倒に加担したベトナムの諜報部員が多数カンボジアに残っていて公平な選挙を行うことはできないというのがポルポト派の主張だった。ポルポト派幹部が仮事務所にしているホテル周辺も何度か取材したが、偶然に当時のキュー・サムファン首相を撮影することができた。(写真)
白い背広に身を包んだ都会的なキュー元首相と農本主義、原始共産主義のポルポト政権となじまないものを感じた。キュー首相はパリに留学して経済学博士の資格を取得、内戦前は国会議員に選出されシアヌーク政権下で通商省長官を務めたこともある。汚職がはびこる当時の政権にあって自転車で登庁するという清貧な政治家だったという。
内戦前、腐敗したカンボジア政権を知るキュー元首相は最後まで総選挙の実施に反対した。93年の4月、総選挙を間近になるとポルポト派は武力で総選挙の実施を阻もうと各地で襲撃事件が起きた。日本の国連ボランティアや文民警察官にも犠牲者が出た。それでも国連主導の総選挙は成功し、曲がりなりにもカンボジアに和平が訪れた。選挙後、ポルポト派はじり貧に陥り、キュー元首相ら幹部はタイ国境付近に追い込まれ崩壊した。判決文を聞く年老いたキュー被告の写真からは頑迷なポルポト派幹部時代の面影は消えていた。
写真1:白い背広を着て会議に臨むキュー元首相
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