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第535回 退職した特派員仲間のある船出 伊藤努

第535回 退職した特派員仲間のある船出 伊藤努

第535回 退職した特派員仲間のある船出

東南アジアを広くカバーするタイの首都バンコクで特派員を務めていたときに知り合った記者仲間から最近、勤務先の新聞社を退職し、「ひとりのライター兼ゴルファー」として新たな航路を探していくとの決意がしたためられたあいさつの葉書を受け取った。ほぼ1年中熱帯のタイを拠点に共に忙しく特派員活動していたのは20年余りも前のことだが、退職のあいさつにしては一風変わった文面には、自ら開設したブログのサイト名とドメインが記されており、早速、そのサイトをのぞかせていただいた。そして、すぐに、すべて自作というブログサイトの出来栄えの素晴らしさに驚いた。個人的関心がある9つの分野ごとに収録された文章はすでに500本を超えている。

退職の連絡をくれたのは、名古屋に本社がある中日新聞社で42年にわたって記者などを務めてきた団野誠さん(68)で、同社では北陸にある地方支局を振り出しに、本社の経済部記者や社会部記者のほか、世紀の変わり目だった2000年前後にはバンコク特派員、帰国後は経済部長、運動部長などを歴任。編集畑を離れた後は、名古屋の中心部にある「中日ビル」建て替えの準備室責任者として役員も務めた。このような経歴を見るだけでも、多彩な仕事ぶりだったことが分かるが、団野さんとの個人的思い出と言えば、バンコクの記者仲間でゴルフが上手だったことと、学生時代は建築が専攻で大学院の修士課程を修了した異色の経歴を伺って驚いたことだ。

もちろん、新聞社や放送局などのマスコミに大学の理系学部出身者も少なくないが、建築学科の出身というのは珍しいので、特に印象に残っていたわけだ。団野さんのサイトのプロフィール欄を見ると、中日新聞社に入社したいきさつが次のように書かれている。

「せっかく建築を勉強して、なんでブンヤなの? 」。新聞社に入った後、何度もこう尋ねられた。もともと大学では設計志望だったが、建築史や評論も大好きだったのでダメもとで新聞社に応募し、面接で「建築・都市の専門記者になりたい」と大見えを切ったら、受かってしまった。

また、これも団野さんのサイトを見て初めて知ったことなのだが、学生時代に住み込みで新聞配達をして資金を貯めた後、大学を1年休学して、当時の社会主義国のソ連をシベリア鉄道で横断したり、欧州から中近東・インドまで陸路で転々と歩き回ったりし、この長期の外国ひとり旅で建築学徒らしく、異国の古い町並みや建造物などについての知見を深めたようだ。

団野さん自作のサイト名は、団野誠ブログ「晴球雨読」と、有名な4字熟語「晴耕雨読」をもじり、ゴルフと読書、映画鑑賞、街歩きなどを趣味とする団野さんらしいネーミングとなっている。ドメインにある「blogolfer」も、カタカナ読みすると、「ブロゴルファー」と、注意しないと「プロゴルファー」と間違えそうだ。サイト名とドメインの名称にも団野さんらしいユーモア精神とセンスの良さを感じる。

頂戴した退職連絡の葉書には、印刷された文章の末尾に、「建築と記者とゴルフ、ぼくなりの清算と船出です。」とあったが、すばらしい母艦を手にした知人の前途洋々の船出に大きな拍手を送りたい。結局、団野さんが学生時代に学んだ建築は、長い新聞社生活の最後に存分に生かされたわけだ。これも、ゴルフに例えれば、団野さんが放った名ショットのように思われる。

記者という職業に関心のある方だけでなく、定年後人生の生き方の一つの素晴らしい具体例として、多くの方に団野誠ブログ「晴球雨読」を紹介させていただいた。

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