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第2回 多様な子どもたちが学ぶ小学校 楠山研

第2回 多様な子どもたちが学ぶ小学校 楠山研

第2回 多様な子どもたちが学ぶ小学校

第1回に書いたように、半年間暮らした家のすぐ目の前に小学校がありました。日本で小学1年生を終えたばかりの息子は、その小学校に入れてもらうことになりました。その学校についてお話をしたいと思います。多様な子どもたちというタイトルですが、子どもたちの多様性については次回に扱うことにして、今回は、アメリカならでは、と感じたことについて、書いていきます。ご存じのようにアメリカの教育は地域ごとに様子が大きく異なりますので、ここでの話はロサンゼルス近郊のある地域とその中にある学校のお話というご理解のもと、お読みいただけると幸いです。

(写真1)

まずは入学までのことについて。日本で転校する場合には、転居先の教育委員会学校教育課に行って、所定の手続きをすることになります。アメリカで学校を管轄しているのは学区教育委員会(School District)になりますが、今回は直接学校に行くだけで用事が済みました。学校では息子の生年月日を確認して学年を決定しました。アメリカの学校の新年度は9月開始とされていますが、この学区は8月中旬には始まっていました。また学年決定のための基準はその年の7月時点の年齢で決まっているようでした。日本なら、全国的に新年度は4月開始ですし、その基準となる日は4月1日(その結果、4月2日生まれからが同学年)と揃っていますが、アメリカではそうした点も地域によって違いがあります。学区のルールにより、息子は順当に2年生と判定されました。ただし4月はアメリカの学校年度のほぼ終わりの時期。2年生は約1月半で終わり、夏休み後には3年生に進級し、秋に日本に帰国すると再び2年生に戻ることになりました。

入学の際のほぼ唯一の条件となったのが、予防接種でした。あらかじめ日本から母子手帳を持っていっていましたので、これを現地の小児科で英文の証明カードに転記してもらい、学校で種類や組み合わせの違いを確認しました。その結果、日本の規定ではすべて接種済みでしたが、この学区の規定には5本足りないということになりました。小児科のお医者さんには、この5本は一度に打つことが可能と言われ、たしか右腕に2本、左腕に3本、連続して接種されることになりました。がんばったご褒美が高くついたのは言うまでもありません。

予防接種が整い、初めて学校に登校したのは渡米後14日目のことでした。さすがにこの日の彼は朝から不安で泣き出し、通学時間徒歩1分の間も、学校に入ってからも泣き続けていました。ちょうどカウンセラーの先生がいらっしゃいましたので、息子の気持ちを落ち着かせて、また新しいクラスメートたちにも、彼がいまどんな気持ちでここにいるのか想像させて、クラスの中に溶け込ませようとしてくれました。結局子どもが泣いたのは、予防接種の日と初めて学校に行った日の2日のみでした。お母さまが日本人という担任の先生と、日本語が話せる子どもがクラスに2人いたというラッキーもあったのですが、アメリカの(ロサンゼルスの?)学校の、外から来た子どもに対する懐の深さを感じました。

(写真2)

 

(写真3)

それでは彼が過ごした教室に入ってみましょう。教室の中は、壁全体、さらには窓ガラスまで、教材や子どもたちの作品が所狭しと貼り付けられており、とてもカラフルです。中には天井から飾りを吊るす先生もいます。日本のような1人1机ではなく、大きめの机に2人が座る形で、机の方向もコの字型などいろいろな向きを向いていました。幼稚園や小学校低学年では、日本の黒板に相当する大きなホワイトボードの前に、格子状の大きなマットが敷いてあります。朝の会の時や、集中して話を聞かせたい時、その格子1マス1マスに子どもたちを座らせます。どうやら指定席のようでした。

教科書は小学校2年生にしてかなり分厚いものであり、無償で貸与されます。いわゆる「置き勉」が当たり前で、教科書を家に持ち帰ることは一度もありませんでした。ノートは最初に1冊が支給されましたが、小学校低学年ではほぼノートの出番はなく、半年で使ったのは全教科通じてほとんどお絵かき帳のように使われた数ページだけでした。高学年になると、ノートに書く量がぐっと増えていきます。

鉛筆や消しゴム、クレヨンといった文房具類は教室に揃っていますので、自分で持っていく必要はありません。彼はお気に入りのシャープペンシル1本だけをリュックサックに入れて、登校していました。子どもたちが使うこうした文房具類の多くは、実は保護者からの寄付です。年度の初めに各クラス担任から保護者に、必要な物リストが配布されます。あの文具店で売っているこのメーカーのクレヨン12色セットなどと書いてあり、これを確認した保護者が任意で購入して学校に届けます。子どもたちは小さい頃からこうした様子を見て、寄付や助け合いの精神を学んでいくのでしょう。

制服はいちおうありました。といっても白か紺かエンジのポロシャツに、紺かカーキの半ズボンかスカートというだけの指定であり、たとえば近所のユニクロでも買えるものでした。月に1度くらい、“Funky Friday”や“Sports Day”があって、ファンキーな服装や野球やアメフトのユニフォームを着て登校できる日がありました。アメリカの子どもにとって何がファンキーかはわかりませんが、お知らせの紙には靴下が左右別柄のイラストが描かれていました。“Hawaiian Day”として、ハワイの民族衣装を着てもよい日もありました。

(写真4)

ランチは学区でメニューが決まっています。メインは、ハンバーガー、ピザ、スパゲティ、サンドイッチ…。それに、小さめの人参3本、コールスロー、リンゴ、ミルクかオレンジジュースがついて1回3ドル。この料金は保護者の収入によって変化しますので、半額や全額免除という場合があります。また朝食も1回1.5ドルで希望者に提供されていました。

ということで、今回は学校のアメリカらしい部分についてお話をしました。学校に関することはまだまだ書き足りないほどありますので、次回以降も、テーマに合わせながら書いていきたいと思います。

(写真1)アメリカの学校といえば!の、スクールバスの車庫を見つけました。
(写真2)教材や子どもたちの作品でカラフルに飾り付けられた小学校の教室。
(写真3)かわいらしい形の保育所のお座りマット。
(写真4)今日のランチは、みんな大好き、ハンバーガー!

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