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第1回 LA郊外のチャイナタウン 楠山研

第1回 LA郊外のチャイナタウン 楠山研

第1回 LA郊外のチャイナタウン

私は2015年4月から半年間、当時勤務していた大学の研修制度を利用し、アメリカ・ロサンゼルスで過ごしました。今後4回にわたって、主にそこでの見聞について、①LA郊外のチャイナタウン、②多様な子どもたちを受け入れる小学校、③たくさんの移民を受け入れるということ、④大都会ロサンゼルスの光と影、といったお話をさせていただこうと思います。

(写真1)

私の在外研修のテーマは在米華人の教育であり、カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校に受け入れていただきました。ご担当いただいた先生には研究室を用意していただき、大学院の授業への参加や学校参観の手配など、大変お世話になりました。

時期的に大学の宿舎は満室だったため、渡航前に民泊紹介サイトを利用して最初の宿を確保しておき、現地に着いてから住む場所を決める予定でいました。空港から直接向かった最初の宿は、ロサンゼルス中心部から路線バスで約20分のところにありました。40代夫婦が保護した犬たちと暮らしながら、使っていないいくつかの部屋を貸している一軒家。結局その中の一室が、私たち家族3人が半年間暮らす家になりました。

到着後数日間、家探しをしたのですが、そうした中で気づいたのは、ほんの道路数本はさんだ他の地域の「なかなか」の雰囲気に比べて、現在いる場所がかなり落ち着いた環境にあることでした。また、駅やダウンタウンにバス1本で行ける便利な場所であること、目の前に小学校があることなども決め手となりました。その時はあまり意識していませんでしたが、街中に漢字がちらほら見られる環境であったことも、心理的に影響を与えたかもしれません。私たちが暮らしたその町は、ロサンゼルスの中心にある観光地としてのチャイナタウンとは異なる、中国系の人々が多く暮らす郊外のチャイナタウンでした。そこは彼らが、おそらく一日まったく英語を使わずに暮らすことができる町でした。

まず食については、アジアの食材を専門的に揃えたスーパーがあちらこちらにあります。またスーパーマーケットのフードコートには中華料理店が並んでいます。そのお店や料理の種類は大変豊富で、広東系、潮州系、台湾系などのお店のほか、東南アジアの華人系のお店もありました。朝食から慣れ親しんだ食事を、慣れ親しんだ言葉(多くは私がまったく聞き取ることのできない「中国語」)を話しながらとることができます。若者向けの大きなショッピングモールの中には、中国の携帯電話ショップや中国系専門の映画館があります。子どもたちには中国語での学習を助けてくれる塾があります。いくつかある中国語新聞(さまざまな団体が作成し、バス停等で無料配布しているものもある)には、水道工事、庭木の剪定、介護など生活に必要なあらゆるものの広告が掲載されており、すべて中国語で依頼することができます。その新聞にはお見合い紹介コーナーがあり、望み通りの結婚相手を探すこともできます。年配の方向けのダンスクラブや将棋サークルなども、たくさんあります。

(写真2)

この町の中で暮らしている限り、バスを降りるときに運転手さんに「Thank you!」と言う以外は、まったく英語を使わずに、中国語だけで暮らすことができます。ある時、バス停でバスを待っていると、ひとりの年配の方から中国語で時間を尋ねられました。「偶然」私は答えられましたが、きっとその方はその「奇跡」にまったく気付いておられなかったと思います。

こうした環境があることは、これからアメリカに来ようと考えている中国系の人々にとって、とても大きな支えとなるでしょう。たとえば日本からアメリカに渡る場合には、言葉はどうしよう、仕事はどうしようと悩み、調べ、渡航するまでにかなりのところまで準備しなければならない気がすると思います。しかし、中国系の人々の場合はそうした準備なしに渡航し、暮らせる場所があります。ある中国語系幼稚園は、ヘッドスタート計画に入っており、訪米したばかりの親が子どもを無料で預けることができます。子どもたちは中国語を使いながら英語に慣れていくことができますし、親に対しても、広東語等を含めた援助がある他、子どもへの対応に適性があると判断されれば教員として雇うこともしていました。こうした多くの中国系の人々の助けを得て、その中で学び、働きながら、必要な情報を収集し、徐々にアメリカ社会に入っていく環境がありました。

もちろん、こうした環境ができるまでには、長い時間とたくさんの人々の努力があったことも忘れてはなりません。長距離列車の出発駅であるユニオン・ステーションの近くにある「チャイニーズ・アメリカン・ミュージアム(華美博物館)」では、中国系の人々が次々と渡米し、排斥など様々な苦難を乗り越えて、現在の環境を作ってきたことがわかりやすく展示されています。中でも、中国系の人々の増加の様子を、お椀の中にある米粒の数で表現した展示は大変印象に残りました。たしかに1人1人はアメリカで米粒のような存在であったと思われますが、それぞれの多大な貢献によって今があることを実感することができました。

                                    (写真3)

このようにアメリカにいながら自分たちの言葉や文化・習慣を維持できる「恵まれた」環境はとても大きな強みになります。同時に、現在問題となっているアジアン・ヘイトとの関係など、アジアン・アメリカンとしてどうやって生きていくかを考える契機にもなるでしょう。次回はこうした親に連れられてアメリカにやってきた子どもたちが通う小学校についてお話したいと思います。

(写真1)ロサンゼルスを上空から。この中に30万人を超える華人が暮らしています。
(写真2)さまざまな人が利用する公共バス。走る地域によって雰囲気が大きく異なります。
(写真3)華美博物館の華人人数の変遷の展示。1860年に16人だったLA在住の華人は、30万人以上になりました。

 《チャイナエクスペリエンス 楠山研》次回
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