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第609回 コロナ禍終息で同窓の集まりが相次ぎ再開 伊藤努

第609回 コロナ禍終息で同窓の集まりが相次ぎ再開 伊藤努

第609回 コロナ禍終息で同窓の集まりが相次ぎ再開

◇脈々続く学生時代の仲間との交流
小・中学校や高校、大学と学生時代は長い人生の中では若いころの短い期間にすぎないが、それぞれ卒業してからも、同窓会や飲み会といった形で同級生との交流が長く続くことが多い。また、学生時代に野球やサッカー、合唱、吹奏楽などさまざまにあるクラブ活動(部活動)を行っていれば、卒業後にOB会という形で、同学年の仲間だけでなく、年齢や年代も違う先輩、後輩との付き合いが続くこともある。

4年近く前に新型コロナウイルスの感染拡大が起きる前は、高校の同窓会や大学時代の親しい仲間との飲み会が12年に一度のペースで行われていたが、そうした集まりも感染拡大につながる「3密」(密接・密集・密閉の場での集まり)を避けるという社会的要請もあってほとんど開かれなくなっていた。

しかし、師走入りを控えた最近、4年ぶりに高校の同窓会や野球部の忘年会が相次いで行われ、昔の同級生や部の先輩・後輩らと久しぶりに旧交を温めることができた。特に高校同期の同窓会は「古希同窓会」と銘打った節目の集まりだったこともあり、これまで以上に出席者が多かった。50年以上も前の卒業以来初めて再会した同級生が少なからずいて、胸に付けた名札を見なければ誰だか分からないというありさまだった。

日本には「同じ釜の飯を食う」という昔からの格言めいた言葉があるが、同窓会やOB会といった集まりの活動が盛んなことは、「同じ釜の飯を食った者同士」の日本的絆(きずな)が脈々と続いていることの表れでもあろう。

◇同窓の集まり継続に「名幹事」の存在
筆者は大学を卒業後、社会人として40年近くを過ごし、会社でも一線の仕事を退いて久しいが、学生時代の同窓会や親しい友人らとの小さなサークル、高校野球部のOB会、大学のゼミ同窓の集まりと、平均的な日本人レベルの頻度で同窓仲間との交流を続けている。同窓会や部活のOB会のいいところは、卒業後に1年ぶりあるいは数年・数十年ぶりに顔を合わす間柄になりながらも、会えばたちまちにして互いに昔の思い出や当時の間柄、友人関係に戻れることで、人間の記憶というのは不思議だ。高校の同窓会では、学校での何げない生活や交流、受験勉強、先生の悪口が話題になる一方、野球部のOB会では練習の厳しさや大事な試合でのエラー(失策)などを誰もが覚えていて、あっという間に若かった学生時代に戻るのは何とも言えぬ懐かしさを覚える。

高校の同窓会や野球部のOB会というと、参加者は100人前後に上るので、集まりの運営がスムーズに行われるためには、縁の下の力持ち的存在の幹事グループの企画の良し悪しが大きな決め手となる。会場の選定から、同窓会名簿に基づく出席の呼び掛け、座を盛り上げるためのさまざまなイベントやその演出など、やるべき仕事は多い。

たまたま、筆者が世話になっている高校の同窓会と野球部のOB会は幹事グループの組織がしっかりしている。しかし、名簿一つを取っても管理・更新するのは大変で、ボランティアで多くの仕事をこなす幹事団には頭が下がる。

◇親しい仲間内の飲み会も途切れなく
これまでは参加者が比較的多い同窓会などの集まりを紹介したが、気の合った少人数の仲間内の集まりもある。「酒話会」と銘打った高校時代の十数人の集まりは、社会人になってからそれぞれ結婚して家庭を持った30年ほど前に自然発生的にでき、新型コロナ禍が起きる以前は年に数回の頻度で酒席を共にしてきたミニ同窓会だ。最初は、高校時代に親しくしていた男女6人の集まりにすぎなかったが、回を重ねるうちに、メンバーの別の親友らが芋づる式に参加するようになり、現在では交代制幹事による参加呼び掛けの一斉メールには20人前後が名前を連ねる。

大学時代の集まりには、同じ学科(60人)と卒業論文を執筆したゼミでつくる「ゼミの会」という親睦組織の二つのグループがあり、コロナ禍以前は折に触れて飲み会をよく開いていた。前者の学科同級生との集まりは常連組が15人前後と同級生の4分の1程度に減り、年齢を重ねるにつれ、音信不通組が増えるのは自然の成り行きかもしれない。

後者は、尊敬する恩師が求心力となって続いた大学のゼミの会だが、メンバーは恩師が大学で教鞭を執った30年間にわたるゼミ出身者で、総勢は260人前後。このうち、半数近い100人程度が連絡を取り合い、不定期に集まっていた。こちらの集まりは、学科の友人たちよりは卒業後の進路が重なっていることが多く、職種は大学の教員、次いで報道関係、金融機関などと続くが、似たような仕事に就いているためか、情報交換や交流、付き合いの機会が自然と増えた。

◇海外でも世話になった同窓会
同窓会のような集まりは日本国内ばかりではなく、海外でもある。筆者はたまたま、社会人の時代に統一前の西ドイツ、スイス、タイのバンコクに駐在したが、どこにも大学の同窓会支部があり、年に数回のペースで懇親会を開いていた。そこに集まる駐在員の同窓はさまざまな業種で活躍しており、いろいろと聞く話は興味深く、自分の仕事に役立つことが多々あった。

特にバンコク駐在時には、同窓会支部の集まりが運動不足解消にもいいゴルフコンペということで、熱心な参加者が少なくなかった。不思議なもので、最初は全く初対面の大学同窓の先輩、後輩であっても、学生時代に同じキャンパスで似たような勉強をしてきた共通体験があるためか、すぐに打ち解け合えるのはありがたかった。

忘れがたい大学OBの方々は特に大先輩に当たる年配の人に多かった。たまたまゴルフコンペで同じ組で回り、ラウンド途中に厳しい指導を何度か受けたAさんは大手タイヤメーカーのタイ現地法人社長だったが、筆者が後に帰国してみると、東京本社の社長になられていた。役職が高いとかは別にして、身近に立派な先輩がいて、いろいろな話を伺うことができたのも、同窓ゆえの特権だったかもしれない。人の縁は、偶然の出会いによるところが大きいが、ここで紹介した学生時代の仲間らとの交流は生きて行く上での「貴重な潤滑油」になったと言えるかもしれない。

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