第611回 「炎と黒煙」、新年早々の二つの衝撃映像 伊藤努
第611回 「炎と黒煙」、新年早々の二つの衝撃映像
正月の元旦に北陸地方の能登半島でマグニチュード(M)7.6、震度7の大地震が発生し、大津波警報の発表やその後の度重なる余震で、震源に近い輪島や珠洲など多くの市町村で甚大な被害が出た。続いて翌2日には東京・羽田空港の滑走路上で日本航空の旅客機と能登半島地震の被災地への救援に向かう予定の海上保安庁の航空機が衝突・炎上する大事故が起き、2024年は大規模な自然災害と大きな航空機事故が相次ぐという、近年では記憶がない異例でかつ衝撃的な年明けとなった。この場を借りて能登半島地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、極寒の季節で生活再建や復旧・復興の見通しが立たない中で不自由な避難生活を余儀なくされている多くの被災者にも心よりのお見舞いを申し上げさせていただく。
私事で恐縮だが、長年の駅伝競走ファンとあって、ふだんの正月3が日と言えば、元日恒例の社会人ランナーによる実業団対抗駅伝、1月2、3の両日は関東地区の大学生による箱根駅伝のテレビ観戦というのが定番の過ごし方となっている。しかし今年は、元日の夕刻に起きた能登半島地震の被害状況や大津波警報の発表に伴う日本海沿岸地域の住民への緊急避難の呼び掛けを伝えるテレビ・ラジオのニュース報道にくぎ付けとなった方も多かったのではないか。
特に能登半島地震では、発生直後の広域にわたる被災地域の様子などが夜間となったため、当初は被害状況が十分に把握できなかったほか、津波の被害も各地に押し寄せる津波の高さ程度しか分からず、何とも言えぬ不安感が募る中で、情報が少ないため繰り返しが多い現地からの報道に接し続ける一夜となった。そうした連日のニュース映像で特に気掛かりだったのは、地震発生直後に、名物の朝市で知られる輪島市内で起きた火災の発生直後の様子と、2日夕刻の日航機と海保機の衝突と同時に発生した滑走路上での爆発・炎上、さらに着陸後の炎に巻き込まれながら走行した日航機の機体の状況だった。
前者の輪島市内の火災では、大地震の直後で取材する記者やカメラマンも簡単には現場に近づけなかったためか、定点に設置されたNHKのカメラで夜空に黒煙と赤い炎が立ち上る様子が映像として伝えられるだけで、恐らく火災現場で猛火に包まれる状況に置かれた地元住民の方々の様子について全く分からない時間が長く続いた。この間、遠方での出来事ながら、テレビなどの報道を通じて状況を知るしかないニュースの受けて側の不安も募り、過酷な被災現場を想像しては心が痛む思いだった。輪島市中心部の大規模な住宅地火災は、悪条件下で消火活動も手間取り、鎮火に時間がかかったが、夜が明けてから被害の全容が判明した火災現場一帯は、コンクリート製の建物の骨組みだけが辛うじて残るという焦土そのものの惨状を呈していた。
一方、後者の日航機の衝突・炎上事故でも、400人近い乗客・乗員が搭乗していた機内で、機体の後部から火が回り始めていたことが空港内に設置された定点カメラ映像を通じて伝えられた。しかし、それ以外の詳しい状況は分からなかったため、多くの乗客の身を案じて胸騒ぎが収まらなかった。多数の消防車による消火活動の傍らで、滑走路上の日航機の小さな窓を通じて見える機内の火の勢いは機体の後部から中央部へと徐々に広がり、不安感はさらに強まる。
そうこうするうちに、その後のニュース速報で、衝突・炎上事故の発生から18分後の午後6時5分に、乗客・乗員379人全員が機体前部などにある使用可能だった3カ所の非常口のシューターを使って無事脱出できたことを知ったときの驚きは多くの方も同様のお気持ちだったに違いない。海外メディアは炎上中の日航機の搭乗者全員の脱出劇を「奇跡だ」と相次いで驚きを持って伝えたが、本当に不幸中の幸いとしか言いようのない乗客と乗員の連係プレーによる奇跡的な避難・誘導劇だった。その後の報道で、航空機メーカーでは、この種の事故が起きた際には90秒で搭乗者全員が無事に機外に避難できるような設計が義務づけられており、日本航空でも年に1回は今回のような事故を想定して、乗客を無事に機外に避難・誘導できるよう訓練を重ねていることを初めて知った。
地震大国の日本では、いつ、どこで大きな地震が起こるかは分からず、地球温暖化の影響で台風や豪雨など自然災害の激甚化現象も今後ますます増えることが懸念されている。天災、人災のいずれを問わず、地震などの災害や予期せぬ重大事故に不幸にも遭遇した際には、被害を少しでも軽減できるよう、日ごろから減災への備えや臨機応変の対応ができる準備をしておくことの大切さを改めて認識させられた新年となった。
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