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第4回 ロサンゼルスの光と影 楠山研

第4回 ロサンゼルスの光と影 楠山研

第4回 ロサンゼルスの光と影

ここまで3回にわたり、私が見てきたアメリカ・ロサンゼルスの状況を紹介してきました。第1回は地域の日常生活、第2回は小学校の風景、第3回は多様な子どもたち。最終回となる今回、第4回は、私が見聞きできたごく小さい範囲に限られますが、学校に注目しながら垣間見えたロサンゼルス社会の現実について、書いてみたいと思います。

みなさんはアメリカ社会と聞くと、どのようなイメージを思い浮かべるでしょうか。これは世代によっても異なると思うのですが、私が授業で大学生に聞くと、ほぼ全員から「自由」という言葉があがってきます。私の短いアメリカ生活でも、アメリカ社会の自由さはあらゆる場所で感じることができました。例えば学校の中でも、子どもたちは自由に発言し、自由にトイレに行くことができます。自由なのは子どもたちだけでなく先生も同じであり、授業中にお菓子を食べたり、好きな音楽をかけたりしていましたし、子どもたちの下校と同時に帰宅されたりもしていました。アメリカという国のそもそもの成り立ちにより、各州やその下の部門にさまざまな権限が任されている状況では、それぞれの部門に自由があり、その多様性は確かに、アメリカの強さを生み出す要因となっています。学生たちが思っている、アメリカ社会は自由、というイメージは間違っていないといえます。

しかし、自由には大変な厳しさが伴うことも、アメリカでの生活が教えてくれました。そうした仕組みは、当然のことながら大きな格差を生み出します。今回はそうしたお話をしてみます。

(写真1)


そもそも私たちが生活の場所にロサンゼルスを選んだのは、華人が多く、大学に専門の研究者がいらっしゃったからではありますが、実際上の最大の要因は金銭的な問題でした。最初は同じカリフォルニア州にあり、ロサンゼルス同様華人が多く、所属先とも交渉が進んでいたサンフランシスコを考えていたのですが、GAFA全盛期のシリコンバレーに近いことから家賃が想像を絶する状態にありました。その金額は、私たちがどのように過ごすのかに左右されますが、他の都市で暮らすよりも半年で確実に数百万円多くのお金を必要とすることが予想されました。加えて、円安も大きく影響しました。2013年に1ドル80円程度だったものが2年で120円に上がり、何か買うたびに全ての価格を1.5倍に感じていました。1ドル150円に近付いている現在(20242月)から考えると、まだまだ可愛いものだったと思えてしまいますが…。このように、同じカリフォルニア州内でも、大きな違いがあり、その違いが変動することがあります。

もちろん、こうした違いは、ロサンゼルス内にもあります。202312月、メジャーリーグのロサンゼルス・エンジェルスに在籍していた大谷翔平選手が、同じくロサンゼルスにあるドジャースに移籍することが発表されました。広く見れば同じロサンゼルスではありますが、エンジェルスのスタジアムがあり、ディズニーランドが近くにあるアナハイムと、ドジャースのスタジアムがあるロサンゼルス中心部ダウンタウンに近い地域では、その雰囲気はまったく異なります。その違いはこれから、大谷選手の活躍とともに日本でもたくさん報じられることと思います。

(写真2)

そのロサンゼルスで有名なサンタモニカ・ビーチは、しばしば日本のテレビにも登場します。見渡す限り続く美しい砂浜、立ち並ぶおしゃれなショップ、海に張り出した遊歩道、そこに接した遊園地…。アメリカの自由と豊かさの象徴のような場所ですが、実際に足を踏み入れると、観光客が笑顔ではしゃぐすぐそばの日陰には、ホームレスの人々が並んで寝ています。子どもと時々キャッチボールをした家の近くの公園には、時々そのボールが当たってしまいそうになるほど、あちらこちらに青いシートを使って組まれた簡易な住処がありました。ここには社会保障や医療、保険のことなど、アメリカ社会が抱える様々な問題が関わっています。

教育でも同じことが言えます。ここでは「寄付」の話をしておこうと思います。学校を運営する各学区の教育委員会は、大通りや学校の前に、寄付を募る大きな看板を立てています。そこに書いてあるのは、今年度の目標寄付金額。子どもの学校がある学区では、30万ドル(当時は1ドル120円でしたので、日本円で3600万円)が目標で、年度がほぼ終わろうかという4月の時点で約7割程度が集まっていることが示されていました。その看板には、この寄付金が集まったらできることが書いてあります。それが、「幼稚園から3年生までの音楽教育、4年生以上の専門的な音楽教育」でした。そうです。私の子どもが通った小学校には、音楽の授業がありませんでした。音楽室という名前の部屋はありますが、使われていませんし、もちろん音楽の専科の先生もいませんでした。第1回に書いたように、私たちが暮らした地区は周辺に比べて、治安など、それほど悪い地区ではありません。またそうした目標に挙げているくらいですから、学区や先生、そして地域の人々が子どもたちへの音楽教育を軽視しているわけではないのでしょう。でもお金や人材など、いろいろな要因のなかで、優先順位が下がり、現状実施しない、という判断に至ったのだと思われます。

なお、体育の時間は毎日ありましたが、日本の学校で体育を経験していた息子は、それが体育の時間だと気づいていませんでした。体操服に着替えることもなく、休み時間と同じように校庭でボール遊びをしているだけだったので、無理もないと思います。日本でも、入試などと絡んで実技系教科の扱いが話題になることがありますが、さらに先の現実を見てしまった気がしました。

(写真3)

一方、そこから路線バスで北に10分ほど行ったところにある地域は、比較的豊かといわれるところでした。それは、家々の作りや芝生の緑色の濃さの違いからも気づくことができます。この学区が設置している看板の寄付の目標額は倍の60万ドル(当時7200万円)。そしてほぼ満額、集まっているようでした。残念ながら私はこの学区の学校には入っていないのですが、おそらく、この学区の学校には音楽の先生がいて、音楽教育が行われているのではないかと思います。

またここで書いているのは全て、公立学校の話です。たとえばロサンゼルスに多く住んでいるハリウッドスターの子どもたちのほとんどは、公立学校は選択肢にも入っていないでしょう。公立とは比べ物にならないほどの差がある私立学校の存在もまた、格差の象徴といえるものです。実際に参観させていただいたある私立学校では、情操教育と融合した形で音楽や歌が授業に自然に取り入れられていました。

こうした格差の話を学生にすると、なぜ国や他の州は助けないのか、という疑問が出てきます。もちろんそれぞれの方法で助けようとしてはいるのですが、そうした部分も含めた自由であることを痛感することも少なくありませんでした。私自身も教育学部の学生であった頃から、教育や学校が社会の格差を改善する役割を果たすと学んできており、それは確かにアメリカでもまったく間違ってはいないことを確認しました。しかし一方で、教育や学校の格差は目に見える形でも存在していました。さらには小学校が英語と中国語のバイリンガル教育など新しいカリキュラムを取り入れて評判になると、富裕層が転居してきて地価が高騰し、それまで住んでいた人々が出ていかざるを得ないといった、教育や学校が格差を生み出す現実もありました。

最後は厳しい話で終わることになってしまいましたが、総じてアメリカという国は想像していた以上に魅力にあふれていましたし、そこでの生活は大変満足できるものでした。その後の異動など、物事をじっくり考える時間でもありましたし、そうした新しい一歩を踏み出すのを後押ししてくれる雰囲気がありました。今でも少しでも時間とチャンスがあったら、またアメリカで暮らしたいと思っています。

大学院生の時に中国に留学するチャンスをいただき、職についてからはアメリカで暮らすことができ、2つの大国で生活できたことは、現在の私の公私の生活に大きな影響を与えてくれています。今後も、こうした経験を学生に伝えつつ、世界を視野にとらえた学校の先生の養成に、微力ながら取り組んでいきたいと思っています。4回の拙い話におつきあいいただき、ありがとうございました。

(写真1)ロサンゼルス中心部からドジャースタジアムを望む
(写真2)さまざまな人々の様子が見られるサンタモニカビーチ
(写真3)各学区が大通りなどに掲示して寄付をよびかけるボード

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