〔30〕マクドナルドが北京の名所だった頃 小牟田哲彦(作家)
〔30〕マクドナルドが北京の名所だった頃
1990年代半ばに初めて中国大陸を長期旅行したとき、私は、免税店で購入したマルボロのタバコのカートンと大量のカロリーメイトをバックパックに入れていた。自分では吸わないタバコをまとめ買いしたのは、中国ではちょっとした御礼の品としてタバコが手軽に使えて、しかも中国では(日本製のセブンスターなども人気があるが)アメリカ製のマルボロはたいそう喜ばれる、と言われていたからだ。いわゆる西側諸国に属していなかった中国でも、一般の庶民の間でアメリカ製品への憧れは確かにあったらしい。
カロリーメイトは、異国での慣れない食事が続いて食欲が減退したときや、万が一食事の機会を逃したときのための非常食だった。私自身は日本食にさほどの郷愁を感じないほうなので、毎日の食事は行く先々の食堂や屋台で済ませていたのだが、それは、日本食や(日本でいう)洋食など、中国にとっての外国料理はどこへ行っても総じて値段が高く、それでいて地元の中国人向けにアレンジされているので、日本人の私が期待するような味とは限らなかったからである。
そんな私が、約1ヵ月半の中国滞在中に唯一、わざわざ足を運んだ非中国系レストランが、北京の王府井にあった巨大なマクドナルドである(画像参照)。1992年に北京で初めてオープンしたマクドナルドは、当時、北京市民や地方から出てきた中国人旅行者にとっての名所のような存在だったらしい。
(北京のマクドナルド)
店の前に置かれた長いベンチには、マスコット・キャラクターのドナルドが座っていて、中国人家族が代わる代わるドナルドの隣に座って記念写真を撮っていた。アメリカ資本主義の象徴のようなマクドナルドは、大人向けの土産物の定番だったマルボロにもまして、大勢の中国人に親しみを持って受け入れられているようだった。
ドナルドとの記念撮影大会を横目に、私はハンバーガーのセットを注文した。当たり前だが、日本のマクドナルドと全く同じ味だ。当時の中国ではパン食も一般的ではなかったから、日本で慣れ親しんだマクドナルドのハンバーガーやフライドポテトは、和食ではないのに懐かしいどころか、油ものが多く胃腸がやや弱っていたかもしれない私にとっては、身体にやさしい健康食品のようにさえ思えた。店内の客に欧米人が少なくなかったのは、私だけでなく、中国を長く旅する多くの外国人旅行者にとっても同じような存在だったのかもしれない。吉野家やくら寿司が中国各地に進出するよりもずっと昔の、20世紀末の話である。
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