〔31〕ソウルの漢字表記変遷―京城・漢城から首爾へ 小牟田哲彦(作家)
〔31〕ソウルの漢字表記変遷―京城・漢城から首爾へ
韓国の首都・ソウルという地名は、漢字表記が「首爾」とされている。もっとも、この2つの漢字の朝鮮語式発音はそれぞれ「ス(首)」と「イ(爾)」だから、釜山(プサン)とか慶州(キョンジュ)のように、漢字名を朝鮮語式に発音しているわけではない。これは2005年に、当時の李明博ソウル市長(のちに大統領)が中国語圏向けに発表した新たな漢字表記である。「首爾」は中国語で「ショウアル(Shǒu'ěr)」と読み、「ソウル」に近い発音となる。
もともとソウルという単語は「みやこ」を意味する朝鮮の固有語で、漢字表記はない。ただ、20世紀初頭まで続いた李氏朝鮮時代には「漢城」とも呼ばれていたことから、第2次世界大戦後に独立した韓国でソウルという名が定着した後も、中国語圏では長らく「漢城」の表記が広く用いられていた。
一方、日韓併合から第2次世界大戦の終結までの日本統治時代には、ソウルは日本語で「京城(けいじょう)」と呼ばれていた。そのため、日本の某新聞社のデータベースで「京城」の語を検索すると、韓国に対する植民地支配のマイナスイメージと強引に結びつけて、歴史的用語としての使用すら自主規制している用例が近年の記事でも確認できる。
実際には、「京城」という名称自体は日本が命名したわけではなく中国製の古い漢字語で、李氏朝鮮時代から公文書・私文書で多く使用されていた(その実例は原田環「近代朝鮮における首都名の表記について」〔『朝鮮の開国と近代化』渓水社、1997年〕に詳しい)。第2次世界大戦後に独立した韓国でも、都市名としては1946年に「京城府」が「ソウル特別市」に改称されたものの、今も韓国で電力事業を行う韓国電力公社は、1961年に他社と合併して現在の社名になるまで、日本統治時代から引き継いだ「京城電気」という社名で営業し続けていた。
私の個人的な体験でいうと、日本からソウルに住む韓国の知人に発送する手紙の宛先に「京城」と書けば、21世紀になった後も問題なく相手に届いた。あえて宛名を「京城」と漢字で書く相手は、日本統治時代を自ら経験した年輩の韓国人たちだった。そういう宛名の手紙を書いたことで交流が途絶えたことも一度もない。
とはいえ、それより下の戦後生まれの韓国人への国際郵便の宛名に、あえて「京城」と書くこともしない(ハングルで「ソウル」と書く方がより正確なので)。中国語の「漢城」は中国語圏向けの正式な表記として生きていたのに対し、「京城」はあくまでも慣習的に残存していた旧称に過ぎないからだ。そして、「『ソウル』という都市名は漢字で表記できない」という前提のもとでは、「漢城」も「京城」も、漢字をめったに使わなくなった現代の韓国ではほとんど一般になじみがないという点では共通していたと思われる。
ソウル・金浦空港のバス乗り場案内板。上から2段目と下から2段目に「漢城」の表記が見える(2006年)
だから、ソウル市長が2005年になって「首爾」を新たな漢字表記とすることを発表したときは、韓国が日本や中国と同じ漢字文化圏の中にあることを久々に意識させられた。これによって、正式表記として用いられていた「漢城」はもとより、古い慣例としてわずかに残存していた「京城」の使用機会はさらに減少し、両者ともいずれ自然になくなっていくのだろうと思った。来る2025年は、その「首爾」が誕生してから20年目にあたる。表記変更から1年後の2006年春の時点では、ソウルの金浦空港でもまだ「漢城」の文字があちこちに見られた(画像参照)が、今では空港内外の漢字表記も「首爾」がすっかり定着し、「漢城」は過去の表記となりつつある。ましていわんや「京城」においてをや、である。
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