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第35回 四合院の中の古典園林:中国銀行本社ビル 東福大輔

第35回 四合院の中の古典園林:中国銀行本社ビル 東福大輔

第35回 四合院の中の古典園林:中国銀行本社ビル

95年の夏、香港でビザを取って広州に行った。改革開放の影響を真っ先に受けた珠江デルタの頂点をなす広州は、都市改造の最中で街じゅうに砂ぼこりが舞っていた。活気あふれる雑踏は学生だった自分にはかなりの衝撃で、雑誌などで見慣れていた香港の町並みよりも強い印象が残っている。道中、どんな建築家が人気か知ろうと書店に入ったが、建築家を紹介する書籍は皆無といってよく、あったのは表紙のうす汚れたイオミン・ペイ(貝聿銘)の作品集だけだった。ペイは地元生まれのスター建築家という事で特別に書棚が充てられていたのかもしれない。

ペイはのちに中国銀行の頭取となるツーイー・ペイの子として、中華民国時代の1917年に生まれた。蘇州の地主の家系で、一家が上海のフランス租界に転居した後は、当時10歳の彼が祖先の祠(ほこら)を訪れる折に、祠の隣にある蘇州四大園林のひとつ「獅子林」にもよく行っていたという。17歳でアメリカに渡り、大学卒業後に建築家としてのキャリアをスタートし、現在101歳。実に84年もの月日を合衆国で過ごしており、国籍上はもちろん、経歴的にも完全なアメリカ人といってよいが、中国国内に建つ彼の作品には、中国系、いや蘇州系アメリカ人としてのルーツが見え隠れする。


ペイの代表作であるルーブル美術館のガラスのピラミッドをひも解くまでもなく、彼の作品は大胆な幾何学の使用を特徴とするが、中国大陸に実現した作品では抑制されている。ルーブル以前の作品である「香山飯店」は、当初は北京の中心部に建てられる予定だった高層ホテルを北京の郊外に移して低層で展開したものであり、またゼロ年代に入って完成した「蘇州博物館」は、小型の家屋に加え、樹木や池といったランドスケープ要素を離散的に配置したもので、中国の古典園林の露骨な参照がみられる(注1)。

彼は90年代の後半に、北京の商業の中心でもある西単の長安街との交差点に「中国銀行本社ビル」を設計している。交差点にドーム状の庇を向けて入口を表示している点を除けば、外観は周囲に埋没してしまいそうな普通の四角いビルであるが、内部に足を踏み入れればその印象は一変する。中央には園林がしつらえられた巨大な吹き抜けがあるからだ。


東西南北に配置した四棟の建物によって中庭を囲い込む、という手法は北方中国特有の住居形式である「四合院」にみられる。さまざまな現代建築家によって参照された、今となってはいささか「手垢のついた」ものであるが、ペイもまたここで四合院の参照を試みている。外国人建築家が北京に建てた建物としては比較的早い「四合院的建築物」の嚆矢であるといってもいい。しかし、その吹抜けの庭園は、竹を生やし、池と奇岩を置き、それぞれの要素としては古典園林的だ。ペイにとっての祖国中国とは、少年の頃に見た蘇州園林そのものなのかもしれない。

 

ペイの代表作の一つに、香港の「中国銀行タワー」がある。香港の返還前、いわば中華人民共和国の「橋頭堡」として建てられたもの(注2)で、トラスによって構成される巨大な三角形を積み重ねたものだ。様々なパンフレットに登場し、きわめて現代的な形態と思われているこのビルも、案外そのインスピレーションの元は蘇州園林に立てられた奇岩だったりするのかもしれない。

 

(注1)蘇州博物館の敷地と、ペイ家の祠がある獅子林、先祖の家の「貝聿銘祖居」は互いに近接しており、ペイにとってこの博   物館の設計は自身のルーツを辿るものであったと思われる。

(注2)このビルのオーナーである中国銀行(香港)は、ゼロ年代の初めに中華人民共和国の中国銀行とは法的に別法人となっている。



 

写真1枚目:中国銀行本社ビル、外観。ガラスによるドーム状の庇。
写真2枚目:中国銀行本社ビル、エントランス・ホール。
map:<中国銀行本社ビル>北京市西城区。北京地下鉄1号線西単駅下車、徒歩1分。
 

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