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第49回 モン族に見る少数民族の悲哀 伊藤努

第49回 モン族に見る少数民族の悲哀 伊藤努

第49回 モン族に見る少数民族の悲哀

10年余り前のことになるが、ベトナムの首都ハノイでの取材を終えた後、拠点のバンコクに帰任するまで丸1日の空き時間ができたので、ベテラン通訳のAさんと車で中国との国境に行ってみることにした。秋だったので、二期作が行われている田んぼで収穫した稲を道路の両端に無造作に並べて乾燥させるこの国ならではの農村風景を見たり、山道をくねくねと登ったりしながら、国境の町、ランソンを目指した。その途中で、荷物を抱えて山道を歩く黒い衣装姿の女性によく出くわしたので、Aさんに聞くと、少数民族のモン族の人だという。この時、初めてモン族の女性を見たが、立ち居振る舞いから、不便な生活もいとわずに懸命に暮らす姿が想像できた。中越国境を取材するのが目的だったので、集落は訪ねなかったが、今となってはちょっと残念だ。

ベトナムには、いわゆるベトナム人のキン族が約8500万の人口の90%前後を占め、このほかにムオン、モン、ザオ、タイ、クメール、チャムなど50余りの少数民族がいる。モン族は同国北部の山岳地帯に広く住んでおり、筆者が出会ったのもそうした地元住民だった。山道から再び、ランソンの市内に入ると、大半がハノイで見掛けたのと同じベトナム人だったので、大半のモン族はやはり、都会ではなく山間地の村や集落で生活しているのだろうと思った。

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ドンダンに運ばれてくる中国製の噴霧器

モン族のことを思い出したのは、昨年末、タイ領内に逃れてきた避難民のラオスのモン族住民4000人余りが両国政府の合意に基づき、強制送還されたというニュースに接したからだ。ラオスのモン族はベトナムの場合とは違って、ベトナム戦争時代とほぼ同時期のラオス内戦時に、その多くが右派勢力や米軍の側に付いて活動していたため、ベトナムに続いてラオスに共産政権が誕生すると、一転して弾圧・迫害の対象となった。

このため、数十万といわれるモン族住民が国外に逃れ、国内に残ったモン族も新政府に対する抵抗活動を続けた。タイ領内から強制送還されたモン族住民は、ラオス中央政府に最後まで抗戦していた活動家やその家族で、避難先のタイの収容キャンプで難民認定を求めていた。しかし、タイ政府はこれらの避難民は経済困窮の末に国内に流入した違法移民だとして、ラオス政府の要求に基づいて送還してしまった。欧米諸国や人権団体はタイ政府に強制送還の停止を強く呼び掛けていたが、聞き入れられなかった。

ラオスのモン族が米軍の側に付いて共産勢力と戦ったのは、山岳民族としての能力を買われ、戦場での活躍を期待されてのことだった。ここに現在の悲劇の遠因がある。ベトナム戦争の終結やラオスにおける共産政権の誕生から35年の歳月が過ぎるが、同じ民族である両国のモン族の「明暗」は、この地域の近現代史の激動の副産物なのだろう。ただ、明暗は分かれても、支配民族にはあらがえぬ少数民族の悲哀をやはり感じてしまう。

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