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第352回 南京虫のはなし  直井謙二

第352回 南京虫のはなし  直井謙二

第352回 南京虫のはなし

第二次大戦中、旧日本軍の兵士を悩ませたという南京虫(トコジラミ)。最近めったに被害の報告を聞かないが、18年に渡るアジア取材で筆者は2回被害をこうむった。90年代の初め、ベトナム北部の中国国境に近いドンダンでのこと。79年の中越戦争から10年経った戦闘が繰り広げられた中越国境を取材した。カンボジア内戦が終わりに近づき、中越の確執も薄らいだ。国境付近では中国軍の敷設した地雷の処理が行われていた。国境貿易も始まり、カンボジアから撤退した兵士らが天秤棒で様々な商品を担ぎ国境へ向かっていた。中国の攻撃で破壊されたドンダンではミニ建築ブームが起きていて、あちこちでレンガ造りの家屋の工事が行われていた。(写真)

第364回 直井.jpg

ホテルで目を覚まし、次の取材地に向かおうと起き上がると足首が妙にかゆい。足首には2つの小さな傷が下駄の足跡のように3つ並んでいた。就寝中に南京虫にかまれたと気が付いた。蚊などと異なりそのかゆみは1週間も続いた。

翌年のインド取材でも再び南京虫に襲われた。インドの西部の港町、ムンバイで夜汽車を待っていた。時間になっても列車はホームに入ってこない。インド人のガイドは「すぐ来るよ」と平然としていた。ホームを闊歩する牛を眺めながらのんびり待っていると3時間ほど遅れてやっと列車の明かりが見え、ようやくやってきた列車にホッとした。

ところがやって来た列車は貨物列車で轟音と共にホームに滑り込み、あっという間に去って行ったしまった。さらに3時間ほどたち、待ちくたびれたころに乗車する寝台車がやってきた。インド人ガイドは「今日は比較的スケジュール通りだ」と再び平然と言い放った。

明け方の寝台車、浅い眠りのなかで足首のかゆみを感じた。寝台から起き上がり足首を見るとドンダンの時と同様の傷が残っていた。2年ほど前、中日友好協会の招待で西安に行ったとき、ガイド役で日本語の達者な女性職員とよもやま話に花が咲いた。筆者が何の気なくベトナムとインドでたて続けに南京虫にかまれた話をすると、女性職員はトコジラミになぜ南京の名を付けるのか、南京は特に多いのかと不満げに聞いてきた。悪いイメージのトコジラミに南京の名を付けることに中国人がいい気分でないことは理解できる。

返答に窮し、「ピーナッツも、日本では南京豆という」と逃げた。江戸の末期には珍しいものに南京という名をつける習慣があり、南京錠、南京豆、南京虫などの言葉が生まれたという説がある。日本でいわれる「南京虫」の命名に悪意はないようだ。

写真1:レンガ造りの家屋の工事

《アジアの今昔・未来 直井謙二》前回
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