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第342回 ミャンマーの民主化に貢献した学生(2)  直井謙二

第342回 ミャンマーの民主化に貢献した学生(2)  直井謙二

第342回 ミャンマーの民主化に貢献した学生(2)

今回の総選挙を軍がいち早く認めミャンマーが民主化の第一歩を踏み出したことで1枚の写真の見方が一変した。(写真)これは1988年隣国タイからマンダレー(ヤンゴンに次ぐ第2の都市)に帰国した直後の学生を撮影したものだ。国旗を先頭に小さな荷物を持ち女子学生が首にかけてくれた花輪を下げ学生が行進している。堂々とした凱旋の様に見えるが、学生たちの表情からはついに軍事政権に屈服したという屈辱感、自らの処遇に対する不安などが複雑に入り混じり、久しぶりに祖国に帰れた喜びは感じられない。国旗こそ掲げているが戦いに敗れ、白旗を掲げながら降伏する敗残兵のようにさえ映る。学生はたびたびミャンマーを訪れ自分たちの置かれている状況を取材してほしいと筆者にも要請していた。しかし特派員としての駐在期間が終わったこともあり97年までミャンマー取材のチャンスはなかった。

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88年から97年までの10年弱、学生たちが受けた処遇は想像するしかないが、筆者が取材中に受けた妨害から推察すれば生易しいものではなかったはずだ。筆者も取材中に顔写真を撮影されたり、取材を終えたVTRを取り上げられたり、暴力を振るわれたりした。それでも学生たちの民主化に向けた粘り強い活動は続いた。

学生たちの情熱を支えたのは言うまでもなく民主化指導者アウン・サン・スー・チーさんの存在だ。旧ビルマ独立の英雄でありスー・チーさんの父親でもあるアウン・サン将軍が旧ビルマ独立運動のさなかに殺害されたこともあってスー・チーさんは政治から距離を置き、イギリスに居を構えていた。88年、スー・チーさんはたまたま母親の看病のために帰国し、学生たちの民主化デモに遭遇した。

以来、ミャンマー民主化のシンボルとなり軍事政権の弾圧を受けることになる。スー・チーさんが偶然帰国していなければミャンマーの民主化は実現していなかったかもしれない。民主化勢力が圧勝した今回の総選挙結果にアメリカのオバマ大統領も祝福の意を表すなど国際社会も強い関心を示していて90年の総選挙のように軍部が選挙結果を無視することは出来そうもない。

民主化運動がついに実を結びそうな今、改めて写真を見ると学生たちの屈辱感や不安感は消え、国旗を掲げ堂々と帰国しこれから始まる息の長い民主化運動に向け決意を新たにしていたようにも見えてくる。当時20歳前後だった学生も四半世紀たち40歳半ばに達している。これからも彼らは民主化に向けて重要な役割を果たしていくだろう。

写真1:国旗を掲げ帰国した学生

《アジアの今昔・未来 直井謙二》前回
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