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第344回 故金泳三元大統領と韓国の民主化  直井謙二

第344回 故金泳三元大統領と韓国の民主化  直井謙二

第344回 故金泳三元大統領と韓国の民主化

11月末、韓国のソウルで行われた故金泳三元大統領の国家葬には7000人が参列、政界の巨星の死を悼むとともに軍事支配を終わらせた功績を振り返った。筆者が金泳三氏にインタビューしたのは1985年2月、全斗煥元政権時代でまだ軍の支配が強かった。東西冷戦の末期で板門店の非武装地帯は依然として厳しい空気が流れ軍の役割も大きかった。(写真)それでも金大中、金泳三それに金鐘泌の三金時代に入り韓国民主化の胎動が感じられた。民主主義を求める学生デモは激しく、取材中、治安当局が投げた催涙弾で涙が出て何も見えなかったことを思い出す。

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当局は内外の報道機関の行動を厳しく監視していた。取材に出ると筆者も公安の尾行を受けた。当時は自宅軟禁中だった金泳三氏にインタビューを試みるのだが、金氏の自宅前に警官が立っていた。ホテルから自宅に電話をかけても、盗聴されているのか突然電話を切られてしまう。時間を置いて何度かトライしていると電話がつながった。「日本のテレビ報道ですか」と鮮やかな日本語が聞こえてきた。金泳三氏の声だった。

1927年生まれの金氏は日本の植民地時代に青春時代を過ごしたことから日本語は堪能だ。インタビューをしたい旨を伝えると、金氏は「喜んでお受けするが、自宅軟禁の状態だ。今は警察が取り巻いている。ただときどきいなくなるのでこちらから電話する。ホテル名とルームナンバーを知りたい」と応えた。一旦、金氏の自宅に入ってしまえば出るのは自由だという。

警察の監視が緩んだすきに金氏の自宅に飛び込まなければならない。夜中のうちにテレビ機材を密かに取材車に積み込み電話を待った。翌日の夕方、今は緩んでいると金氏から突然電話があった。急いで駆け付けたいところだが、公安が監視している。集団で行動すれば目立つ。まずカメラマンだけが車に乗り次に映像技術者、最後に筆者が乗り込み猛スピードで金氏の自宅に向かった。無論、公安も追いかけてくる。金氏の言葉通り、警官はおらず無事金氏の自宅に飛び込んだ。

韓国民主化の行方と今後の方針、日本政府に望むことなどを質問した。帰るころは警察官が立っていたが、とがめられなかった。ただ金氏の自宅前は坂になっているうえ、寒さで道路が凍っていて滑りもんどりうって転んだ。警察官の笑い声を背にホテルに戻った。紆余曲折はあってもこの30年の韓国の民主化には目を見張るものがある。

写真1:80年代半ばの板門店

《アジアの今昔・未来 直井謙二》前回
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