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第340回 ミャンマーの民主化に貢献した学生(1)  直井謙二

第340回 ミャンマーの民主化に貢献した学生(1)  直井謙二

第340回 ミャンマーの民主化に貢献した学生(1)

4年前、「大国に挟まれた不思議の国ミャンマー」(第154回)で中国とインドに挟まれ、情勢に合わせて政策を大きく転換してきたミャンマー(ビルマ)がこれからも意外な行動をとる可能性があると書いた。

四半世紀にわたり弾圧を繰り返してきた軍部が民主化勢力・国民民主連盟(NLD)の圧勝の結果をいち早く認めたことも、「不思議の国」の面目躍如だ。民主化実現に向けての陰の立役者は軍の穏健派と言えそうだ。

1988年の軍による激しい民主化運動の弾圧、90年の民主化勢力が圧勝した総選挙の結果無視、さらには民主化指導者アウン・サン・スー・チー氏の長期自宅軟禁などを知る専門家の多くが急速なミャンマー民主化に驚きを隠さない。民主化のゴールとも言えそうな今回の総選挙で民主化の胎動が始まった1988年夏の大規模騒乱を思い出した。

1988年の騒乱では無差別に弾圧された学生らは隣国タイを目指し、徒歩で逃れた。当時の首都ラングーン(ヤンゴン)からタイ国境までおよそ400キロ、学生らは1週間以上もほぼ飲まず食わずでひたすら歩いた。国境にたどり着いたものの、多くの学生が体力を落としてマラリアなどの感染症で倒れた。タイ政府が用意した難民キャンプに落ち着いた学生たちは治療と反政府運動を続けたが、祖国から離れた学生の声は軍事政権に届くこともなく、学生も無為の時間を過ごすだけだった。それを見越した軍事政権はたびたび学生らに帰国を促した。学生たちは軍事政権による弾圧を恐れて拒否したが、政権側は騒乱の罪は問わないと繰り返し、帰国を促した。国際社会の批判をかわすために学生を帰国させたい軍事政権と難民キャンプで空しい時間を過ごす学生らの間で、外国報道機関を同行させるという条件付きで帰国するという妥協が成立した。

第364回 直井.jpg

ビルマ(ミャンマー)は外国報道機関への取材ビザ発給を禁止していたことから、メディア側もビルマの国内情勢を垣間見るチャンスでもあるとして、同行に参加した。1988年末に一部の学生たちと当時のビルマに向かったが、到着したのは期待した旧ラングーンではなく中部のマンダレーだった。学生らを迎えたのは意外にも若い女子学生と民間人で、軍人の姿は皆無だった。(写真)何事につけても軍がリードする軍事政権の手のひらを返したような対応が逆に不気味だった。異様な雰囲気を察知した学生らは外国報道機関の記者らの帰国後の事態を懸念し、3か月後に再びビルマを訪れ、取材するように要請した。外国報道機関は首都ラングーンを訪れることを軍事政権に要請したが、結局、バガンなど観光地しか見ることができなかった。(この項、続く)

写真1:帰国する学生を歓迎する女子学生

《アジアの今昔・未来 直井謙二》前回
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