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第9回 人民大会堂裏の「鳥の卵」:国家大劇院 東福大輔

第9回 人民大会堂裏の「鳥の卵」:国家大劇院 東福大輔

第9回 人民大会堂裏の「鳥の卵」:国家大劇院

2007年9月、イギリスBBCが一つのニュースを報じた。元国家主席の江沢民が、完成したばかりの国家大劇院のステージに飛び乗り、趣味のクラシック・オペラのアリアを披露したというのだ。事実上、この劇場は彼によって「こけら落とし」されていたのである。日本に対していつもコワモテの態度をとっていた江沢民が、音楽ファンという一面を持ち合わせていたことは少々意外に感じるが、中国の芸能界や文化行政に隠然たる力を持つ上海幇(シャンハイ・バン)の領袖の彼のこと、音楽は「趣味と実益を兼ねた」ものだったのかもしれない。

ともかく、1998年に建設が発表された後、すぐさま指名コンペが行われた。日本から指名されたのは文化施設の実績も豊富な磯崎新(いそざき・あらた)である。磯崎案は専門家による審査でも高く評価され、提出された案の中でトップになっていたのだが、コンペの主催者側は不可解な動きをしはじめた。事前に予定されてなかった二段階審査とすることが参加者に通知され、細かな設計条件が追加されたのである。もちろん、磯崎側も検討を行ったが、とりたてて修正すべき箇所はなく、第一段階で提出したものとほぼ同じ内容を提出したという。

蓋を開けてみると、コンペの勝利者はフランスのポール・アンドルーだった。今でこそ、中国で様々な文化施設を手がけている彼だが、それはこの国家大劇院という実績ができた後の事であり、この当時は音楽ホールの経験はほとんどない建築家であった。あったのは幾つかの空港ターミナルの実績で、実際、彼は建築家というよりもむしろ、フランス国内の空港を一手に設計するパリ空港公団(ADP)の副総裁を務めるテクノクラートというべき人物であったのである。もちろん、中国の政治家たちが、機能や形態の面でアンドルー案を高く評価した可能性もないわけではない。しかし、この建物は天安門や人民大会堂のすぐ近くに建つ高度に政治的な建物であり、それに加えて、当時の日中関係は冷え込んできていた。政治家たち、とりわけ江沢民自身に「重要な建物を日本人建築家に設計させるわけにはいかない」という心理が働いた可能性は大いにある。

北京は、近代建築の巨匠、ル・コルビュジェも絶賛した碁盤目状の街路を持つ都市だ。磯崎がその街路に「建築的」に配慮していたのに対して、ポール・アンドルーは、そこに池に浮かぶ巨大な「卵」形のシンボルをぶち込んでいる。これは、北京の町並みに対して、いささか唐突なふるまいといえるのではないか。

観客たちは、その「卵」の中へと池の下の地下道を通って入る。そして、内部の巨大な空間には、オペラを行う大劇場と、パフォーミング・アーツを見せる小劇場、そして室内楽などを聴かせるコンサートホールがそれぞれ独立して置かれ、余白は巨大な待合スペースとなっている。設計者が空港設計の第一人者であることを知っている者からすれば、この構成は丸められた空港ターミナルに見えなくもない。

比較的単純な形に見えるが、施工は困難を極めた。その元凶は、隣に建つ人民大会堂である。人民大会堂から工事現場を眺めた政府上層部から何度も横槍が入り、そのたびに工事は止まり、修正を強いられたというから、工事担当者の心労は察してあまりある。また、この建物の外装は高価なチタンで覆われている。この材料は軽量で耐候性に優れているが、曲げ/溶接などの加工が大変難しい。そのため、日本の工場で成形したものが葺かれているという。


写真1枚目:外観、左奥に見えるのが人民大会堂。
写真2枚目:木の内装材が貼られた内観。
map:<国家大劇院>北京市西城区。地下鉄1号線「天安門西」駅下車、D出口から徒歩3分」


 

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