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第526回 海外支局とローカルスタッフ  直井謙二

第526回 海外支局とローカルスタッフ  直井謙二

第526回 海外支局とローカルスタッフ

海外に赴任すると取材とともに難しいのがローカルスタッフとの人間関係だ。欧米や中東やアジアそれぞれに経済発展状況やお国柄が異なり対応に差があるだろう。80年代半ばバンコク支局に赴任して最初の年の暮れがやってきた。職場や友人が集まって忘年会シーズン真っ盛りの時のこと。記者から運転手まで全員が普段の裃を脱いで楽しく年忘れをしようと提案した。盛り上がることを期待し当日を迎えた。会場の日本料理店での忘年会はのっけから雰囲気がどうもおかしいのだ。政治的には平等なタイでも社会的にはわずかながら身分制度が残っていた。

大学を卒業したローカルの記者と地方から出てきた運転手は同席することを双方が嫌がる。運転手にすればこんな高くてまずい日本料理を窮屈な席で食べるくらいなら半分の料金でいいから宴会費をもらい仲間内だけで行きつけの屋台で気兼ねなく飲みたい。記者も同じで運転手との同席に違和感をもつ。普段、食事を共にしていないことに気が付いたがすでに後の祭りだった。

80年代のタイでは肝炎などの感染者が多発した。同業他社のカメラマンは歴代A型肝炎を発症し、ついにカメラマンをローカルに変えたくらいだ。まだ脆弱だったタイの医療を心配し本社は1年に1回帰国し人間ドックに入ることを義務付けていた。筆者と家族だけがかなりの費用をかけて健康診断することに後ろめたさを感じた。人間ドックとまではいかないが、病院での簡易な身体検査を現地スタッフに命じた。記者は意識が高く、喜んだが、運転手などはなかなか行かない。病気でもないのに病院に行きお金を払ってまで採血など痛い思いをすることを理解できないようだった。検査代で酒を買って飲めば元気になりますと訳の分からないことをいう。

バンコクは近代化が進み一部は今やシンガポールのようだ。(写真)市民の意識も大きく変わった。今年4月、筆者の時代から働いていたバンコクの運転手が高齢になり運転に自信がなくなったことを理由に退職した。退職日、運転手と支局員全員が並ぶ写真が「LINE」で送られてきた。支局長によれば新型コロナウィルスが収束すれば改めて送別会を開くという。高度経済成長とともに社会的な身分制度が薄れてきていることを感じた。

ほぼ毎年バンコクを訪ねているが、ナイハン(旦那様)という単語を聞かなくなった。また以前は住み込みで働いていたアヤさん(女中さん)も通いに変わった。社会構造も日本と変わらなくなってきた。

《アジアの今昔・未来 直井謙二》前回  
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