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第33回 われわれの「鳥巣」:国家体育場(2) 東福大輔

第33回 われわれの「鳥巣」:国家体育場(2) 東福大輔

第33回 われわれの「鳥巣」:国家体育場(2)

「大ズボン」だとか「壊れた靴」だとか、市民によって不名誉なあだ名がつけられることの多い北京の現代建築だが、このスタジアムのニックネームは、多くの人が幸福を連想する「鳥の巣」だ。古来より、住宅の軒下に子沢山なツバメが巣を作ることは多産の予兆とされてきたのである。外壁には構造物がランダムに立ちあがり、たしかに鳥が巣の材料として集める小枝に似ている。このニックネームは行政にオーソライズされ、周囲の道路標識にも書かれているものだが、聞くところによるとこのスタジアムは最初から「鳥の巣」を謳っていたわけではないらしい。

建物の全体的なシェイプは「陶枕(とうちん)」、すなわち中国の骨董にみられる陶磁器製のマクラであり、さらにランダムに走る構造物はそれに生じた「貫入(かんにゅう)」、すなわち陶磁器の素地と釉薬の伸縮率の差によって無数にできる小さなひびである、とコンペ時には説明されたようだ。コンセプト作成に協力した美術家の艾未未(アイ・ウェイウェイ)は、いつもポケットに骨董を忍ばせ、訊けばその蘊蓄を披露してくれるような人物で、中国の古美術には非常に造詣が深い。また、安眠をあらわす「マクラ」も「鳥の巣」と同様に北京という都市の護符になりうるもので、中国の悠久の歴史を重んじる審査員たちが感じ入った可能性は高い。この話は十分に信憑性があるように思える。


巣の小枝にせよ、貫入にせよ、この建物は「デザイナーの作為でない」「自然なパターン」で覆われている、ということだ。ところが、建築は工学を凝集したものでもあり、これだけ大きな建築物の構造は全くのランダムというわけにはいかない。デザイナーはそのあたりの折り合いをどうつけているのだろうか?…その秘密は、構造体全体が織りなす幾何学にある。

 1974年、イギリスの物理学者のロジャー・ペンローズは「ペンローズ充填形」と呼ばれる図形を考案した。「充填形」とは数種類の図形によって平面を隙間なく埋め尽くしたもので、たとえば四角形や三角形を用いた充填形は、方眼紙やカゴなど身の回りのあちこちで目にすることができる。同じように、ペンローズ充填形は、2種類の菱形で平面を埋め尽くしたものである(下図左参照)。これを見ていると視線が吸い込まれてゆくような不思議な感覚におそわれる。図形を見るとき、人間の目は半ば自動的に「一定のリズム」を探すものらしいが、この図形には一部を平行移動して重なるような部分がなく、リズムを発見できないのだ。この特徴は「非周期」とよばれ、ペンローズ充填形は非周期充填形の最も有名なものである。

 

「ペンローズ充填形」が発表された翌年、アマチュア数学者のロバート・アマンがこの上に5方向の平行線を引き、この図形のカラクリを明らかにした(下図右参照)。この平行線は「アマン・バー」と呼ばれており、たしかに平行線で挟まれた部分は一定の法則性があるようにみえる。また、全体をみても、「ペンローズ充填形」と同種の面白さがある。つまり、非周期的にみえるのである。

幾何学の説明が長くなったが、この「鳥の巣」は、階段や構造などに合わせて多少の調整はされているが、この「アマン・バー」を外部に巻き付けたものだといえる。だからこそ、繰り返しが見えず、ランダムに構造体があるような印象を与えるのだ。実は、美術家のオラファー・エリアソンが、1990年に同じ図形をもちいた「5次元パヴィリオン」という公園の東屋を発表している。デザイナーはこの作品を参考にしたのではないかと筆者は邪推している。

 この建物には、他にもあちらこちらに「ペンローズ充填形」的な図形が登場する。代表的なのがコンコースに張られたタイルだ。本当に非周期的なタイルは施工が難しくなるので、周期的なものに変えられてはいるが、同じ菱形が使われている。

 (次回に続く)

(注1)ここで言っているのは平面充填形のこと。他に、空間を埋め尽くす空間充填形もある。


写真1枚目:外壁の高圧洗浄のようす。どうにも危なっかしい。
写真2枚目:コンコース部分。床にはペンローズ・タイル「的」なタイルが張られている。
図:ペンローズ充填形(左)とアマン・バー(右、赤線)

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