「国境の空白地帯」は、なぜ犯罪拠点になったのか 直井謙二
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「国境の空白地帯」は、なぜ犯罪拠点になったのか
匿名・流動型犯罪グループ、いわゆる「トクリュウ」による被害が広がり、年間の被害額は2,000億円を超えたという。
犯罪グループの拠点として名が挙がるフィリピンのマニラ、タイ国境に接するミャンマーのメヤワディ、そしてカンボジアのポイペト。いずれも、私がかつて何度も取材に足を運んだ土地である。マニラを除けば、当時は人の往来がわずかにあるか、ほとんど途絶えた寒村だった。そこが将来、特殊詐欺の拠点になるとは想像もできなかった。
1988年、当時のビルマで学生による反政府デモが激しさを増し、世界の注目を集めた。バンコクのミャンマー大使館に何度取材を申請しても、入国ビザは下りない。首都ラングーンでは大勢の学生がデモに加わり、その先頭に立つのは英国から帰国した女性だと聞いた。アウンサン・スー・チー氏の名を知ったのは、そのときが初めてだった。ネ・ウイン政権は倒れたものの、デモは全国へ広がり、国全体が混沌のなかにあった。
地図を広げると、中部タイのメソートと、細い川を挟んで向かい合うミャンマーのメヤワディが目に留まった。国中にデモが広がっているのなら、メソートまで行けば、川向こうの様子が見えるかもしれない。そう考えた。予想は的中した。川の向こうでは、車に積まれたスピーカーから怒号が響き、大勢のデモ隊が声を上げていた。
もう一つ、忘れられない国境の町がある。タイ東部のアランヤプラテートと向かい合う、カンボジアのポイペトだ。カンボジア内戦が長引き、鉄道も道路も閉ざされていた。メソートとメヤワディには細々ながら人の行き来があったが、こちらは軍が警備し、人影はまったくなかった。内戦前には使われていたのだろう。入国検査場や税関の跡だけが、取り残されたように寂しく残っていた。(写真)アランヤプラテート駅には、次の駅がポイペトであることを示す表示板がぽつんと立っていた。

当時、アランヤプラテートは、タイを拠点にする各国特派員のたまり場でもあった。カンボジア内戦をめぐって記者同士が情報を交換するため、私も何度となく足を運んだ。
二つの国境の町に共通していたのは、タイでも、ミャンマーでも、カンボジアでも経済的に顧みられない、人影のない「空白地帯」だったことだ。
ところが、その風景は一変する。「一帯一路」を掲げる習近平政権と、何代にもわたって地域に根を張ってきた華僑・華人が結びつき、開発が急速に進んだ。まず建物を造る――そんな中国方式の開発によって、需要を上回るほど多くの建物が立ち並んだ。その空き建物がトクリュウに目を付けられ、犯罪の拠点として利用された可能性は高い。
誰も注目しない間に、ミャンマーやカンボジアの犯罪組織は国境を越え、巨大化していったのではないか。かつて国の果ての寒村を取材した私にとって、現在の姿はなお想像を超えている。人も資本も届かなかった「空白」が、いつしか国際犯罪を呼び込む余地に変わっていたのである。




