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華南・大湾区経済圏の中心は「深圳」に移行か、「香港」は金融サポートの補完都市に(上) 日暮高則

華南・大湾区経済圏の中心は「深圳」に移行か、「香港」は金融サポートの補完都市に(上) 日暮高則

華南・大湾区経済圏の中心は「深圳」に移行か、「香港」は金融サポートの補完都市に(上)

 

香港は1997年7月1日、英国から中国に主権返還されてから今年で25年目を迎える。当時の最高実力者、鄧小平氏は「一国二制度」「50年不変」と約束したが、その半分の歳月を経ないうちに二制度は完全に壊れた感がある。大陸内と同じように、国家安全維持法が施行され、中国共産党や政府に対する批判的な行動は一切許されない。メディアは規制され、街頭での集会、デモは禁止され、それ故に、政治的な自由度を謳歌してきた人たちは我慢ができず、海外に移住している。華南経済圏、最近では「大湾区経済圏(グレーター・ベイエリア)」と言われるが、この地域の中心都市は深圳と位置付けられ、同市はハイテク企業、生物医薬開発の企業の集積を図っている。北京では、「香港は深圳の補完」との見方がされつつある。実際、香港は「ゼロコロナ」対策の中でさらに流動が抑制され、経済は落ち込んでいる。香港の現状を見ると―。

<反北京分子への圧力と海外移住>

筆者が香港に駐在していた1990年代、街中ではしばしば反共産党、反北京政府のデモや集会が開かれたが、いつもその先頭にいて目立つ2人の個性的な活動家がいた。一人は頭の毛を長く伸ばしており、世間では「長毛」と呼ばれていた梁国雄氏。調子のいい男で、どの場面でもメディアに登場したがる。返還の時期に筆者もインタビューを申し込んだが、「こちらが出向くよ」とばかりに海外プレスの事務所まで気安く足を運んでくれた。のちに反体制派の支持を集めて立法委員(香港特別行政区議会議員)にも選出されている。もう一人の活動家は白い頭髪、あごひげを生やした古武士然とした男で、古思堯という名であった。派手な格好をし、メディア受けするパフォーマンスはするが、梁氏とは対照的に無口な印象で、インタビューに答える姿など見たこともない。

その古思堯氏が2月4日、ついに国家安全維持法絡みで自宅で逮捕された。「国家政権の転覆を扇動した」というのが容疑内容だった。香港メディアによれば、彼は2020年の香港七一(返還記念日)デモに参加した時に「末期の大腸がんである」と明かしている。すでに73歳の高齢で病弱であるため、今回も保釈要求を出したが、警察側は応じなかった。これまで行き過ぎたデモでの行動で11回拘束、連行されたものの、いずれも”微罪”扱いですぐに警察から出てきた。しかし、今回は「国安法」に関わるため、簡単には出られそうにない。古氏は裁判所の被告席に登場した際、傍聴席に向かって「人権は政権より大きく、人民は国家権力より上にある」、そのあとに「私は(国安法という法律があるなら)その罪を認める」が「一党独裁反対。共産党を打倒せよ」と叫んだという。筋金入りの闘士である。

古思堯氏はかつて熱烈な共産党支持者であったが、1989年の天安門事件で反共に転じたという。われわれ日本人記者にとって忘れられないのは、彼が熱心な「保釣(尖閣諸島奪回)運動」の活動家でもあり、尖閣に上陸した経験もあることだ。反共産党であると同時に、「祖国愛に満ちた」人間でもあったようだが、当局はそんなことを忖度しない。警察が2月4日、国安法容疑で活動家の一斉逮捕に出たのは、この日が北京冬季五輪の開幕日に当たっていたためで、古氏のほか、梁国雄氏と行動を共にしてきた「女長毛」こと雷玉蓮女史ら民主派3人も連行された。古氏らは開幕日に合わせ、北京の出先機関である「中央政府駐香港連絡弁公室」に向け「棺桶」を担いで練り歩く嫌がらせのデモを計画していたと言われる。冬季五輪の成功によって自身の威信を高め、今秋の党大会で政権続投を狙っている習近平国家主席にとっては、たとえ「二制度」下にある香港でも成功に水を注す動きは許せないのであろう。

こうした政治的な締め付けを嫌って、海外への移住を求める香港人が後を絶たない。国家安全維持法が施行された2020年7月1日から昨年12月31日までの18カ月間に香港を離れた人が約20万人に上った。その移住先としては、旧宗主国の英国など英語圏が多いのだが、生活文化が一緒で、言語も近い台湾も人気がある。台湾移民署が発表した最新統計によれば、2021年中、台湾で居留許可を得た香港人は1万1173人(前年比360人増)、定住許可を得たのは1685人(同109人増)。歴年で見ると、居留・定住申請者は2018年に計5238人だったが、19年には7332人、20年には1万2389人、そして21年に1万2858人と増加傾向にあり、3年連続で過去最高を記録した。台湾大陸委員会の邱垂正副主任委員は「われわれは国際社会の香港支援キャンペーンに呼応し、香港人に人道的援助の手を差し伸べる」と述べ、今後も移民を積極的に受け入れる構えだ。

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