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第491回 相次ぐベトナムの若者の不慮の死の背景にあるもの 伊藤努

第491回 相次ぐベトナムの若者の不慮の死の背景にあるもの 伊藤努

第491回 相次ぐベトナムの若者の不慮の死の背景にあるもの

今回もまた、ベトナム人尼僧として、日本で非業の死を遂げた同胞の若者らを弔うボランティア活動を続けているティック・タム・チーさん(41)の話を続けさせていただく。前回の本欄では、ベトナム戦争の終結(1975年)から間もない戦後の混乱期に誕生したタム・チーさんの生い立ちや、若くして仏門に入った経緯、日本への留学などこれまでの人生の歩みを駆け足で紹介したが、尼僧として幅広い人道支援活動をしている理由を尋ねると、「破れていない葉っぱは破れている葉っぱを包むべき」というベトナムのことわざを教えてくれた。日本では身寄りのないベトナム人の技能実習生や留学生が不慮の死を遂げるケースが近年相次ぎ、死者を弔う僧侶として、単に葬儀で読経するだけでなく、死者を見送るさまざまな手続きにも立ち会い、必要な支援の手を差し伸べざるを得なくなってきたのだ。

日本では聞き慣れないことわざを聞いて、「破れていない葉っぱ」の自分が、不幸にも「破れてしまった葉っぱ」となった同胞を黄泉(よみ)の世界に見送るのは当然の使命、任務と考えて活動していることを意味することわざと解釈した。仏教の熱心な信者であれば、さまざまにある仏教の教えとして、因果応報、輪廻転生といった考え方を信じ、現世では他者に功徳を施したり、その一環でお布施を励行したりと、死後の世界での成仏、安寧を願う信者が多いだろうが、タム・チーさんが教えてくれたベトナムのことわざも仏教の教えに通じる善行の勧めなのかもしれない。

ベトナムに関心を持つ筆者らの一行が今年3月下旬、東京・港区にある浄土宗の寺院「日新窟」でタム・チーさんと面談している最中にも、ベトナム人がまた亡くなり、葬儀などの諸手続きについて照会する連絡が携帯電話に入っていたが、面談の数日前には東北地方で死去した同胞の葬儀に立ち会うために現地に赴いていたといい、頼りにされるベトナム人尼僧が多忙な日々を送っていることが短時間の面談の合間にもうかがえた。タム・チーさんも、「昨年はベトナム人の若者らの突然死や自殺などが相次ぐ異常な1年でした。1カ月に3~4人の葬儀に立ち会い、今年はまだ3カ月しかたっていないのに、日本各地で10人が亡くなっています」と語りながら、手元にあった死亡診断書や葬儀手配の書類のコピーなどを私たちに見せてくれた。亡くなったベトナム人の年齢の欄を見ると、20代から30代の若者が多いことが分かり、技能実習生や留学生として来日した若いベトナム人がなぜこうも立て続けに不慮の死を遂げるのか、身近な関係者であるタム・チーさんならずとも、「異常な事態」と思うに違いない。

 「また? なぜ? 悲報が届くたびにそれしか頭に浮かばない。希望を持って日本に来たのに、骨つぼで帰る。遺族がどれだけ悲しむか」と、明るい性格のタム・チーさんもこのときばかりは顔を曇らせながら、ベトナム人の若者が相次いで不慮の死を遂げる理由として、以下の要因を列挙した。▽技能実習生や留学生として来日しながら、日本語が十分に勉強できないという日本語の教育問題▽ベトナムに比べ寒暖の差が激しい気候のことを知らずに来日し、生活しているケースが多い自然環境に対する理解不足▽若者にありがちな健康に対する過信▽在留期間が限られているため、残業して多くの賃金を得ようとしたための過労死▽少しでもお金を残そうと考えて食事代を節約することなどに伴う栄養不足―を挙げた。こうした要因には、日本側の劣悪な労働環境もさることながら、ベトナム人の国民性に由来する事情なども複雑に絡んでいるように思われる。

「日本人は西洋人は尊敬するが、アジア人は見下す。同じ人間なのだから、平等に扱ってほしい」。タム・チーさんはこうも語っていたが、「同じ人間なのだから、平等に扱ってほしい」という在留外国人との共生観を日本社会に広げていくことがベトナムの若者らの非業の死を減らしていくための第一歩となるのではないか。
 

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