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第490回 45年ぶりに再開したカンボジアとタイの国際列車  直井謙二

第490回 45年ぶりに再開したカンボジアとタイの国際列車  直井謙二

第490回 45年ぶりに再開したカンボジアとタイの国際列車

アジアを取材しているとかつては賑やかに列車が行き交った寂しい鉄路の現状に遭遇する。
今でも鮮やかに記憶に残っているのは南北朝鮮にまたがる京義線とカンボジアとタイの国境をまたぐ国際列車のことだ。二つの鉄路には建設に日本が協力したことと、戦闘により列車の運行が止まったという共通点がある。

京義線は日露戦争にそなえ日本が戦略物資の輸送のために敷設したといわれている。京義線を訪ねたのは全斗煥政権時代の80年代半ばで、南北朝鮮の関係は最悪の時だった。板門店も訪れたが、停戦ラインの向こうに見え隠れする北朝鮮の兵士の表情も硬かった。京義線は朝鮮戦争をきっかけに運行が止まり停戦ラインで線路が切れている。掲げられた看板にはハングル文字で「鉄馬は走りたい」と書かれていた。走れば先は非武装地帯で地雷が埋まっている。

タイとカンボジアの国際鉄道も第二次大戦中、インドシナに侵攻した日本軍が敷設したものだ。そこに南北朝鮮統一の願いとは裏腹な厳しい現実を見た。

1976年に樹立したポルポト政権は文明を否定し、鉄道施設も破壊したため運行が止まった。タイ側の終着駅、アランヤプラテート駅を訪ねたのは80年代末のことだった。ホームに立てられたタイの国旗が国境駅の雰囲気を醸し出していたが、乗客はおらず線路で犬が餌をあさり線路には雑草が生い茂っていた。(写真)

カンボジアではポルポト政権は崩壊していたものの内戦は続いていた。ホームには次の駅であるカンボジアのポイペト駅の文字も書かれた表示板が立っていて再開への願いを感じた。同じように戦闘で運行が止まった二つの鉄路だが国際列車再開は事情が複雑で時間がかかるのではないかという筆者の予測は外れてしまった。

今年の4月末、45年ぶりにタイとカンボジアの国際列車の開通式が行われた。カンボジアのフンセン首相とタイのプラユット首相が式典に参加、アランヤプラテートから列車に乗り隣駅のカンボジアのポイペト駅に到着した。カンボジアの首都プノンペンからポイペトまではすでに去年開通していて両国は鉄路でも結ばれたことになる。80年代は両国には国交すらなかった地域である。カンボジアに入るためにはまずバンコクでベトナムのビザを取得し、空路でハノイに入り、改めてカンボジアの大使館でビザを取り再び空路でカンボジアに入国しなければならなかった。これからは簡単にビザを取得し一駅でカンボジアに入国できる。

南北朝鮮の鉄馬が走るのはいつになるのだろうか。

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