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第583回 ウクライナめぐる偽旗作戦、ロシアの思惑 伊藤努

第583回 ウクライナめぐる偽旗作戦、ロシアの思惑 伊藤努

第583回 ウクライナめぐる偽旗作戦、ロシアの思惑

仕事柄、ロシアが軍事侵攻したウクライナで続く残忍な攻撃の様子や戦況の見通し、あるいは両国の軍事作戦の状況を伝える海外メディアの報道に接する機会が多いが、今回のウクライナ戦争で特徴的な点の一つとして、両国の熾烈な情報戦が現地の戦況や国際世論などに大きな影響を与えていることがある。

過去に起きたさまざまな戦争や紛争でも情報戦が大きな役割を果たしてきたことはよく知られているが、今回のウクライナ戦争で特に際立つのが、秘密警察出身のプーチン大統領が率いるロシアによる偽旗作戦の多用と俳優出身のゼレンスキー・ウクライナ大統領による国民の戦意高揚を狙った国内外向けの巧みな演説だ。情報戦と言っても、その内容や手法は全く異なるが、軍事力では劣勢のウクライナ側の反転攻勢で苦戦を強いられているロシアは、得意とするはずの情報戦でも国際社会を敵に回す誤算を犯しているように思われる。

自国の軍事作戦を有利に展開するために虚偽の情報を意図的に発信したり、相手側の仕業に見せかけて攻撃したりする偽旗作戦と言える事例を幾つか挙げれば、▽プーチン大統領が演説などで時折示唆する核兵器使用の脅し、▽ロシアが占拠したウクライナ南部の原子力発電所に対するウクライナ側の「攻撃」非難や責任転嫁、▽ウクライナによる放射性物質をまき散らす「汚い爆弾」使用の可能性をめぐる批判キャンペーンなどがある。

ロシア側の荒唐無稽に見えるいずれの主張も、ウクライナやその背後に控える欧米諸国に脅しをかけるとともに、ロシア軍の自作自演の攻撃への批判を回避するために仕組まれ、相手側に責任をなすりつける狙いや思惑があることは誰の目にも明らかだろう。最近も、バルト海を経由してロシア産天然ガスを欧州に送る海底パイプライン「ノルドストリーム1・2」が9月下旬に何者かによる破壊工作で損傷し、ガス漏れが起きた事件で、ロシア側は英海軍の関係者によるテロ工作が原因だと非難した。これに対し、英政府は即座に「途方もないでっち上げだ」と全面否定したが、ロシア側がどうしてこのような見え透いた虚偽情報を発信しているのか、本当の理由はやはり分からない。

筆者がそのような思いや感想を持っていた折、ドイツ有力誌「シュピーゲル」に興味深く、かつ説得力のある記事があったので、簡単に引用して紹介したい。「プーチン大統領の核による脅しで世界終末時計は残り100秒」という見出しがついたこの記事は、「プーチンのロシア」が繰り返す「立証できない非難」を列挙した上で、ロシア政府が立証できない非難(虚偽情報)をなぜ繰り返し発信しているのかについて、専門家へのインタビューを交えて分析を試みている。以下、記事のさわりの部分を引用させていただく。

ロシアの要請で10月下旬に開催された国連安保理会合では、「ウクライナが汚い爆弾の製造を準備している」とのロシアの非難は「証拠がない」として退けられた。しかし、「汚い爆弾」をめぐるロシアのショイグ国防相のウクライナに対する非難は、ロシアの政府高官が繰り返す挑発的かつ相互に矛盾する発言の一つと考えると、腑に落ちる。ロシアの要人は公式見解と矛盾する発言を平気で行うことがあり、安全保障担当の高官が10月半ば、「ロシアは大量破壊兵器使用で威嚇したことはない」と主張したが、プーチン大統領はわずか1カ月ほど前の演説で「国家と国民を防衛するためにあらゆる兵器を使用する。はったりではない」と述べたことを知らないかのようだと皮肉った。

このような「矛盾」や「はぐらかし」は意図されたものだろう。プーチン大統領のプロパガンダは、二つのことを同時に行うのが常である。連日、「核攻撃があり得る」と威嚇し、一方で、「西側諸国がロシアを廃虚にしようとしている」と主張する。半世紀ほど前、当時のブレジネフ・ソ連共産党書記長が「欧州に核および化学兵器のない地帯を設けよう」と提案しながら、秘密裏に中距離核ミサイルの配備を準備していた状況と似ている。当時のソ連指導部が仕掛けた心理作戦である「平和を求める身振り」は西ドイツ国民にうまく働き掛け、北大西洋条約機構 (NATO)の核配備計画に反対する反核運動が西ドイツで起きた。

また、カナダのクイーンズ大学国際・国防政策センターの研究員はインタビューで、「核兵器投入でロシアは戦況を好転させることも、同国が併合したウクライナ東部・南部4州を防衛することもできない。ウクライナに対する抑止効果もない。クレムリン(ロシア大統領府)は西側諸国、特にドイツに不安を与え、委縮させるのが目的だ」と述べ、心理的側面を重視する考えを示した。(以上はシュピーゲル誌記事からの引用)

どうやら、ロシアの偽旗作戦は「西側に不安を与えて、ドイツなど欧州の人たちを委縮させるのが目的」ということが分かってきた。

核兵器を投入した全面戦争勃発の危険を知らせる世界終末時計の秒針の行方に引っ掛けたシュピーゲル誌の記事は締めくくりで、「フランシスコ・ローマ教皇およびロシア正教会トップのキリル総主教は先ごろ、ともに核兵器使用について警告を発した。しかし、われわれ一般市民は、プーチン大統領が西側諸国を混乱させるためだけに核使用をほのめかし、本気で核攻撃を行う計画はないと祈るしかない。しかし、年明けに世界終末時計の残り時間を判定する核兵器問題の科学者らは、祈るだけとはいかないだろう」と綴り、ブラックユーモアを交えてウクライナ戦争の深刻な一面を伝えている。

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