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第585回 甲斐路の山荘での密談会 伊藤努

第585回 甲斐路の山荘での密談会 伊藤努

第585回 甲斐路の山荘での密談会

予想もしなかった新型コロナ禍がすでに3年近くも続き、感染防止のために学生時代の友人や社会に出てからの知人・仲間たちとの会食の機会がめっきり減ってしまったのは何とも寂しい。そうした中で、新型コロナウイルスの感染拡大がやや下火になった時期を見計らって、会食や忘年会などの集まりが続いている内輪のグループがある。

10人近い仲間の最長老の日髙敏夫氏(86歳)が、往年のテレビ時代劇の主人公でよく知られた水戸黄門からとったニックネームの「黄門翁」を自称しているため、いつしか内輪グループの呼称も仲間うちでは「黄門会」「黄門チーム」を名乗るようになった。主要なメンバーも、テレビ時代劇の諸国漫遊の黄門さまのお供をする助さん(助三郎)、格さん(格之進)、かげろうお銀、風車の弥七といった呼び名を持つようになったのは、ちょっとした遊び心でもある。

最近のことだが、晩秋のある週末、山梨、長野の県境にある黄門さまこと日髙氏の山荘に6人ほどのメンバーが集まり、久しぶりに懇親&密談の機会を持った。全員がすでに中高年の黄門会のメンバーは、もともとの職業が経営コンサルタントや報道機関に籍を置いていた記者(退社後はフリージャーナリスト)、ジェトロのベトナム駐在員から大学教員に転身した研究者、高校の社会科教諭などと多士済々だが、一つ共通するものがあるとすれば、これまでの人生でベトナムや東南アジアと何らかの関わりがあったという点だ。

リーダーの日髙氏はもともとは大手製鉄会社の海外部門で活躍した企業戦士で、後に定年を前にしてベトナムに拠点を置く経営コンサルタント会社を興した経歴を持つ。長年にわたる現地駐在時代に折をみて見聞したインドシナ半島の多民族国家の素顔を紹介した『ベトナムに魅せられて―民族が織りなす文化と人間模様―』という著作をものしている有数のベトナム通だ。親日国家でもあるベトナムという魅力的なお国柄と日髙黄門さまの包容力あるお人柄という二つの磁力に引かれる形で、現在のメンバーはさまざまな縁でつながり、いつしか黄門会が誕生していたというのが実態に近い。

それはともかく、黄門会の集まりは、日髙氏が会員となっている都心にある「東京倶楽部」のレストランや談話室を利用することが多く、過去10年近くにわたり、ベトナムに関連したテーマでの研究会や映写会などを随時開催してきた。今回は、甲斐路にある日髙氏ご自慢の山荘に場所を移し、一泊二日の密談会と称してベトナムの少数民族や東南アジアに特有の興味深い自然や伝統・文化・慣習などが話題に上がり、参加者がそれぞれ自らの体験や見聞を語るなどして座は大いに盛り上がった。

南向きの山荘からは山梨の名峰・甲斐駒ケ岳(標高2967メートル)が一望でき、山荘近くの林道を歩けば、甲斐駒と対峙するように八ヶ岳がくっきりと稜線を広げているのが視界に入る。人けがほとんどない山間地の里の集落には、雲一つない青空の下、たわわにオレンジ色の実をつけた大きな柿の木が存在感を放っていた。



柿と甲斐駒


太陽が沈み、気温が下がったため移った山荘での暖かな居間での密談会の前には、山荘の前に広がる大きな庭地でたき火をしながらのバーベキューでお腹を満たし、大自然の中で日頃の息苦しいコロナ禍の生活の憂さ晴らしもできた。

夜遅くまで続いた密談会の翌日は、山荘オーナーである高齢の日髙ご夫妻への一宿一飯の恩義で、ご要望に従い、皆で力を合わせて庭にある柿の木や梅の木の剪定で汗を流した。労働作業のご褒美に、剪定の折に収穫したたくさんの柿をお土産に頂戴したが、錦織りなす紅葉ただなかの中央道を経由して帰宅した後に頂いた柿を一つ食べると、一句浮かんだ。子規の名句からの連想で恐縮だが、「柿食えば 剪定の汗 甲斐の里」。年明けの新春には、剪定させていただいた紅梅の老木がどのような花を咲かせているか。楽しみがまた一つ増えた、コロナ禍の中での思い出深い仲間との再会となった。

朝焼けの甲斐駒ヶ岳



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