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第606回 南北朝鮮と板門店の様変わり 直井謙二

第606回 南北朝鮮と板門店の様変わり 直井謙二

南北朝鮮と板門店の様変わり

2023年7月、入隊して間もないアメリカ兵が韓国と北朝鮮の軍事境界線にある板門店で、韓国側から境界線を越え北朝鮮側に侵入し北朝鮮に拘束される事件が起きた。このアメリカ兵は韓国内でパトカーを蹴飛ばし罰金刑を言い渡されるなどトラブルを起こし、懲戒処分を受けるため本国に送還されることになっていた。

送還のため空港に移送されたが隙を見て逃げ出し、たまたま空港に貼られていたツアーの広告を見て板門店の訪問を思いついたという。薄笑いを浮かべ、人混みから抜け出し北朝鮮側に走り込んだようだ。北朝鮮はアメリカ兵が亡命の意思を示したと発表した。南北朝鮮の事情に疎いアメリカ兵が単に懲戒処分を逃れる目的の行動だと思われる。

2019年6月、アメリカのトランプ前大統領が金正恩委員長と会談した際、ほんの少し境界線を越え関係改善をアピールしたが、今回の越境事件は偶然と知識不足が起こした点で対照的だ。同時に時の流れを感じた。

筆者が板門店を取材したのは1985年2月、韓国の金大中元大統領がアメリカから帰国の途につき、軍事政権に自宅軟禁される事件を取材した時だった。ついでに板門店取材を思い立った。当時も板門店観光は行われていたが、「ポプラ並木事件」の緊張感が残っているうえ、厳寒の2月ということもあって人影はまばらだった。記者として訪れた為、少尉の扱いになり8名の国連軍の護衛兵が付いた。人混みに紛れ越境できる状態ではない。

「ポプラ並木事件」は1976年8月、南北非武装地帯に流れる帰らざる川と呼ばれる川岸に植えられたポプラ並木を北朝鮮監視の障害になるとしてアメリカ軍を中心にした国連軍8名が枝の剪定をしていた時、突然北朝鮮兵士が現れアメリカ兵らを撲殺した事件だ。北朝鮮側は金日成主席が自らポプラを育てたものだと主張した。軍事衝突の懸念もあったが、その後事態は沈静化した。

半分切られたポプラの枯れ木は10年後に切り倒され碑が建てられたが、1985年2月の段階ではまだ残っていた。(写真)兵士が付き添っているが遠くにポプラ並木の残骸と高い塔の上でたなびく北朝鮮の国旗を見ると緊張感が走った。南北朝鮮の関係は対立と話し合いを繰り返しているが、経済的な繁栄は高度経済成長を続ける韓国側が圧倒的に勝っている。

板門店観光は盛んになり韓国側には観光客があふれているが、現在も北朝鮮側は兵士の姿が遠目に確認できるだけだ。南北朝鮮対立は厳しさを増しており対話は当面期待できない。


《アジアの今昔・未来 直井謙二》前回
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