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〔19〕21世紀に破壊された中東の古代遺跡 小牟田哲彦(作家)

〔19〕21世紀に破壊された中東の古代遺跡 小牟田哲彦(作家)

〔19〕21世紀に破壊された中東の古代遺跡

世界各地で観光名所となっている古代の遺跡は、管理する支配者がいなくなり長い歳月を経て風化したものと、戦乱等によって人為的に破壊されたものとに大別できる。往時を偲ぶ当時の実際の構造物がどのくらい残されているかは、遺跡によりさまざまだ。現代まで残っていれば人類共通の文化遺産と認識されて保存されるかというと、常にそうとは限らない。2001年にアフガニスタンのタリバン政権が、奈良の大仏の2倍から3倍以上も大きなバーミヤンの大仏にわざわざ大量の爆薬を仕掛けて爆破し、その映像を世界中に配信して堂々と公開したのはその典型例と言える。

2011年から10年以上続くシリア内戦では、同国中部にあるパルミラ遺跡がイスラム過激派テロ集団によって大々的に破壊された。パルミラは、アラビア半島やメソポタミアと地中海とを結ぶ東西交易の中継点として古くから栄えた都市で、特に紀元前1世紀ごろから紀元後3世紀ごろにかけては、中国とヨーロッパとを結ぶシルクロードのキャラバン都市として繁栄したと言われている。1980年にはユネスコの世界遺産に登録され、「ここを見なければシリアに来たことにならない」とまで言われるほど、シリアを代表する観光地として世界中からの旅行者を集めてきた。

私がパルミラ遺跡を訪問したのは、シリア内戦が始まる3年ほど前の2007年だった。ダマスカスの街もパルミラの遺跡内も、日本人を含む多くの外国人観光客で賑わっていた。当時もシリアは今と同じアサド大統領の政権下にあり、強権的な支配が欧米各国からの批判を受けていたが、治安は比較的良好で外国人観光客が旅行しやすい国でもあった。そういえば、ソ連侵攻前のアフガニスタンも、中近東の中では旅行がしやすい国として知られていたという。

遺跡内は厳密な順路が決まっているわけではなく、崩れ落ちた建物の残骸が転がる中をほぼ自由に歩き回ることができた。細長い柱が整然と並び立つ列柱道路(画像参照)の様子は、見る者それぞれに往時の姿を思い浮かべさせ、ほぼ完全な形で舞台が残っている円形劇場は古代の文明の高さを偲ばせる。広大な遺跡をくまなく歩き回るには一定の時間が必要で、それゆえパルミラには観光客向けの高級ホテルからバックパッカー向けの安宿まで、宿泊施設も充実していた。


パルミラ遺跡があるタドモールという街は、内戦前の人口がわずか3万人弱で、観光と農業が主な産業だった。それが、内戦によって観光どころではない社会情勢になり、さらにイスラム過激派勢力によって遺跡そのものが大々的に破壊されてしまった。いずれ平和が戻る日が来ても、世界中の旅行者を魅了したあの古代遺跡の光景はもう見られない。そのとき現地の人たちは、21世紀になってから新たに破壊されたこの悲劇の史跡について、訪れる旅行者に対してどのように解説するのだろうか。

《100年のアジア旅行 小牟田哲彦》前回
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