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〔18〕戦前の朝鮮定番観光コース「豊臣秀吉の朝鮮進軍跡巡り」 小牟田哲彦(作家)

〔18〕戦前の朝鮮定番観光コース「豊臣秀吉の朝鮮進軍跡巡り」 小牟田哲彦(作家)

〔18〕戦前の朝鮮定番観光コース「豊臣秀吉の朝鮮進軍跡巡り」

今年の大河ドラマ「どうする家康」は、10月に入って豊臣秀吉の治世が終わり、物語のクライマックスを迎えようとしている。晩年の秀吉が二度にわたって朝鮮に攻め込んだ、いわゆる「唐入り」については、過去の大河ドラマでも朝鮮での戦闘シーンなどが詳しく放送されたケースは少ない。小西行長や加藤清正が朝鮮半島の北部まで進軍していった史実を、テレビの時代劇などで視覚的に認識したことのある人は少ないのではないだろうか。戦国時代の大名同士の戦いでは、両軍の布陣図や進軍ルートなどを詳細に描くケースがあるのとは対照的だ。

第2次世界大戦前、日本統治下にあった朝鮮半島への旅行ガイドブックを開くと、現代のそうした淡白な扱いとは異なり、文禄の役、慶長の役について詳細な解説にページを割いていることが多い。各地の史蹟の解説でも、小西行長や加藤清正、黒田長政といった戦国武将の名前が頻出する。それは、そうした史実に関心を持つ旅行者が多かったことの証でもある。

昭和9年に朝鮮総督府鉄道局が刊行した『朝鮮旅行案内記』はその典型で、朝鮮の歴史に関する解説ページが48ページあるのだが、そのうち31ページが秀吉の朝鮮侵略に関する記述になっている。しかも、文禄の役当時の日本の武将が朝鮮半島を北上していったときのルートを描いた「文禄役日本軍進軍路」という地図まで掲載していて、当時としては珍しくカラー刷りなのだ(画像参照)。「加藤軍進軍路」「小西軍進軍路」「黒田小早川軍進軍路」の3ルートが青、赤、緑の3色で塗り分けられ、古戦場の場所は赤い三角印で示されている。秀吉の朝鮮侵略ルートに関する記述についての、昭和初期の日本人旅行者の関心の高さがうかがえる。

(文禄の役進軍コース図)

ちなみに、戦前の朝鮮旅行のガイドブックでは、日清戦争や日露戦争の史跡に関する案内も充実していた。これらは、日本にとっては勝ち戦に関するテーマなのと、昭和初期の日本にはまだ実際の従軍経験者が多く健在だったことから、旅行者の関心を集めやすいのはそれなりに理解できる。だが、400年も前の歴史とはいえ、結果的に負け戦だった秀吉の朝鮮侵略がなぜこれほど旅行者の関心事だったのか、はっきりしたことはよくわからない。

現代の韓国旅行(及び北朝鮮旅行)のガイドブックでは、史跡巡りといっても、文禄の役や慶長の役の古戦場を紹介するページはほとんどない。日清・日露戦争の史跡も然りである。山河のありようは変わらず、旅行者が利用する鉄道路線も幹線ルートはほぼ変わらないのに、80年という期間は、朝鮮半島を旅する日本人旅行者の興味の対象をずいぶんと大きく変えたものである。

《100年のアジア旅行 小牟田哲彦》前回
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