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〔20〕戦跡観光地が急増した20世紀末のベトナム 小牟田哲彦(作家)

〔20〕戦跡観光地が急増した20世紀末のベトナム 小牟田哲彦(作家)

〔20〕戦跡観光地が急増した20世紀末のベトナム

20世紀は「戦争の世紀」であったとよく言われる。2度の世界大戦をはじめ、世界各地で大規模な戦乱が相次いだ。近代的な交通手段が発達し、多くの国で一般市民が移動の自由を獲得し、行楽旅行を楽しめる程度まで生活レベルが向上した人々が増えたのは確かだが、観光旅行は平和な世の中であることが大前提。その前提を崩す戦乱が、観光旅行の世界的発達と同時並行で絶えないという、皮肉な時代だったとも言える。

ただ、戦乱が終わると、これまた皮肉なことに、その跡地は観光名所に生まれ変わることが少なくない。それも、激戦地として名高い場所ほど、その激戦の後を偲ぶ旅行者を呼び込む観光要素となりやすい。

ベトナムは、アジア諸国の中で、そうした観光事情が最も顕著な国の一つと言える。宗主国フランスとの戦いを経て独立した後は、ベトナムの南北に分かれた政権間で10年以上もベトナム戦争が続いた。長い戦乱の中で多くの犠牲者を出したが、最終的にアメリカ軍を追い出して全土を統一した北ベトナムに由来する現体制から見れば、輝かしい勝利の戦いである。そのため、国内の激戦地は基本的に、自国軍がいかに苦労して敵と戦い、そして勝ったか、という視点で観光地化されている。

ベトナム戦争の特徴の一つが、ジャングルの中を中心として徹底的なゲリラ戦が展開され、近代的な兵器を投入した重装備のアメリカ軍がそれに勝てなかった、という点だ。ホーチミン郊外にあるクチトンネルは、そのようなゲリラ戦の拠点が観光地化された象徴的なところと言える。全長250キロにも及ぶ地下トンネルの入口が密林の中に隠されている場所(画像参照)などは、身をひそめながら強敵と戦う兵士の姿を視覚的にイメージしやすい。もちろん、そのような観光化整備をしているのは、単に観光客誘致のためだけでなく、ベトナムならではの平和教育の目的があるのだろう。


当然のことながら、こうした戦跡名所は、ベトナムがフランスの植民地だった時代には存在しなかった。広島の原爆ドームや沖縄のひめゆりの塔が、第2次世界大戦前の旅行ガイドブックに載っていないのと同じである。そして、アジア各国の中でも、ベトナムはこうした近現代の戦跡名所の比率が特に高いように感じられる。そうした史跡が増えるのはちっとも喜ばしいことではないのだが、一方で、名所として整備され観光客が訪れるようになれば、観光産業に携わる人々の生活が潤う。何より、観光客がのんきに旅行できるのは、平和な社会になった証でもある。ベトナム各地で体験できる戦跡観光は、戦跡という観光資源が持つさまざまな意義を強く感じさせてくれる。

《100年のアジア旅行 小牟田哲彦》前回
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