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第610回 歴史を遡るアユタヤクルーズ 直井謙二

第610回 歴史を遡るアユタヤクルーズ 直井謙二

歴史を遡るアユタヤクルーズ

タイ観光の目玉の一つは首都バンコクから古都アユタヤまでの船の旅だ。アユタヤはバンコクの北80キロの場所にある。道路が整備され、車なら1時間強で到着するが、古代をしのびながら3時間ほどかけて船でチャオプラヤ川を遡る旅もお勧めだ。

出発は大都会の喧騒のなかバンコクの船着場から始まる。クルーズ船は2階建て、3階建てのかなり大きな船で穏やかな大河を航行するので揺れることもなく船酔いの心配はない。船からの景色もバンコクの発展と共に様変わりしているのを見ることができる。

コメの国、タイのシンボルだったコメの集積場とコメを出荷する艀はここ20年で姿を消した。チャオプラヤ川を利用した物流が道路の整備でトラックなど陸路にとって代わったためだ。広大なコメの集積所はショッピングモールや高層のマンションになっている。それでもサマセットモームが定宿にした「オリエンタルホテル」や向かい側の暁の寺「ワットアルン」は変わらない姿を見せている。(写真)バンコクは現代のチャクリ王朝が都を開くまでは広大な湿地帯だったと言われても想像がつかない。

船の中でランチを食べている間に景色が変化する。高層ビルは姿を消し、庶民の生活が垣間見える住宅地や寺が増えてくる。クルーズ船は川の主流を通るが、少し支流に入れば観光用ではない水上マーケットや水上に浮かぶ学校にボートで通う小学生の姿も見ることができる。高度経済成長とは無縁の昔ながらの生活が息づいている。

アユタヤに近づくにしたがって14世紀半ばから400年栄えたアユタヤ王朝の都を目指した日本の戦国武将や商人のイメージがわいてくる。バンコクの湿地帯を抜けたご朱印船が間もなくアユタヤの船着場に到着する。秀吉の天下統一で天下取りの夢破れた戦国武将や一攫千金を狙う商人も日本語の通じないアユタヤに不安と期待が入り混じっていたに相違ない。

アユタヤは1761年ビルマ軍の攻撃で破壊された。崩れた王宮やアユタヤのシンボルワット・プラ・サンペットそれにワット・ヤイ・チャイ・モンコンなどの遺跡巡りが人気を呼んでいる。チャクリ王朝初期の18世紀末、中華街建設のためアユタヤ遺跡の煉瓦が大量に持ちさられた。

1991年、世界遺産に指定されてから遺跡の保存ばかりでなく公園としての整備も進んでいる。急速に発展し高層ビルが立ち並ぶバンコクから庶民の生活そして遺跡へと風景の変化ばかりでなく現代から400年とう時を遡る船旅は世界の観光客を楽しませている。


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